日曜日にやっていた「美空ひばり誕生物語」を見ていた。 番組も後半に差し掛かり、和枝役も上戸彩に変わって、「港町十三番地」のレコーディングのシーン。
幼少の砌、まだばあちゃんも生きていて、あたくしは耳から入ってくる歌謡曲や演歌を 片っ端から覚えて、歌詞カードも何もなしに歌える、記憶力の塊のような時代があったんだけど、 3歳にしてがなっていたのは「北の宿から」と「津軽海峡冬景色」あたりが定番であった(笑)。 特別に演歌が好き!!・・・・というのではなくて、とにかくあの頃は、アイドルでも何でも、 今のようなリリース速度ではなく、年に1〜3曲出せばいい方で、 1年中同じ曲が流れていることも珍しくなく、更にあたくしが生まれるもっと前の時代になると、 1曲で何年も歌いつなぐことが当たり前だったらしい。
美空ひばりは正にその時代の人で、幼少の砌は彼女の良さというか、この人の歌のどこが巧いのか さっぱり理解できなかったのだけど、齢31にもなると、その深みやテクニックが理解できるようになるから 不思議なんだな(笑)。 あたくしも、新宿時代に何曲か挑戦し、お客さんと一緒になって「津軽のふるさと」という曲を 1日最低1回は練習していたことがあったんだけど、浜崎あゆみの曲をマスターするより、 格段に難しく、しかも、もう本人は亡くなっているわけだから、テレビなどのメディアで 彼女がこの曲を歌っているところを見たこともなければ聞いたこともない。 トレースするにも元本がない状況で歌っていたので、そりゃ、困難の極みであった。
今でも時々、カラオケに行くメンバーによってはこの「津軽のふるさと」が出動することもあるんだけど まるで歌曲(オペラ)のようで、ぶつけ本番で歌うのにはあまり向いていない、と、素人のあたくしは思う。 スコアを目にする機会はないのだけど、恐らく、歌い手用のスコアを見たら最後、 マスターするまでの遠い道程を感じずにはいられないことだろう。 そのくらい、彼女の作り上げてきた楽曲というのは難しいものが多い。
さて。本題に戻ろう。 「港町十三番地」のレコーディングシーンのわけだが。 今のように、オケを打ち込みにしてヘッドホンから聞こえる仕組みではなく、 オケも一緒にレコーディング室に入り、一斉録音するのがこの時代のやり方。 タクトを持つ指揮者も当然、この部屋の中に入る。
と、あたくしの目の中に飛び込んできたのは、1回見たら忘れられない、強烈なインパクトの持ち主で、 明らかにあたくしもリアルでお会いしたことのある男性音楽家の先生だった! オケ指揮者の役をしてらっしゃる。 エンドロールで確認するも、映画と違ってドラマの場合は、せりふのあった役者しか名前が出ない。 ということで、真偽のほどは確かではないが、あのタキシード姿&めがね&ヒゲのセットは 1度見たら、絶対に忘れられないインパクトがある・・・・ということで、ついつい見ながら
「あ、先生だ・・・・」
と溢してしまった(笑)。
大学4年のときに借り出された初のミュージカルで、声楽を担当してくださった先生で、 その先生について習っている子に言わせると、とても礼儀に厳しくて怖いらしいのだけど、 うちらには、冗談をかましたり、記念に写真でも・・・・とカメラを向けると最高のヘン顔を一瞬にして作る 日常的天才・・・・という感じの人だった。(見た目は確かに怖いけど(笑)) 5、6話のオムニバス構成のミュージカルで、あたくしはその第1話で主演・・・・というか 男の子と女の子が1人ずつしか出ない話で、応援に借り出されて参加したはずなのに、 ソロ曲まで用意されていて、卒倒しそうになった(苦笑)。 芝居も、大勢でやるんではなくて、たった2人だから掛け合いの勢いが必要で、 しかも、出だしからケンカをしている・・・・なぁんていう設定だった。 張り手をかまさんばかりの剣幕で・・・・というのと、無理矢理相手役にキスをされた・・・・というのだけは 鮮明に覚えているんだけど(爆)。
その時に渡されたソロ曲のスコア(いや、全部の曲のスコアもある)は、実家の秘境を発掘すれば 出てくるんだけど、つけられた注文がまた厳しいものであった。 あたくしの声域は、当時、完璧なソプラノではなく、アルト〜メゾのあたりを彷徨っている 中途半端なもので、今でもそれは恐らく変わっていないだろうけれど、声域査定をする時に、 顔の厳しい先生(爆)に「う〜ん、ソプラノ!」と、若干の躊躇の上にソプラノ行きが決められた。
「差し出がましいようですが、先生・・・・あたし、人生の中でソプラノというのは 未だかつて1度もないんですが・・・・。」
「だって仕方がないじゃないの。アルト『しか』出ない子がいるんだから。 ま、確かに、突き詰めていくとあなたの声はアルトだけれど、相対的に見てソプラノ寄りってことで、 今回はこれでいってちょうだい♪」
「( ̄□ ̄;)!!」
とバッサリやられて、しかも、ごまかしのきかないソロ曲ありだなんて、あんまりよ・・・・(トホホ) というのも、今になっちゃいい思い出なわけだけど(笑)。 今は、ソロを取ろうと思ってもなかなかそうはいかないっていうのが定石になっちゃったし(苦笑)。
で、だ。 あたくしに与えられたソロ曲は、そんなに楽曲的には難しいものではなかったし、 音域も童謡のようで、声が出ません!無理です!という感じではなかった。 ・・・・のだけど。 歌い方の指示で、とんでもない注文がついたのだ。
「ファルセットは基本的になし!! ビブラートもなし!! 頭からケツまで綺麗な地声でお願いよ。」
( ̄□ ̄;)!!( ̄□ ̄;)!!( ̄□ ̄;)!!
やったことありませんが、そんなこと・・・・( ̄∇ ̄;)
確か、その時のスコアで一番高い音というのは、C♯かDくらいだったんだと思うんだけど、 当時、Dくらいに差し掛かると、やっぱりそれなりに裏声(ファルセット)っぽくなってしまうのよ。 14、5歳くらいのハイスクールの少女が、自分の思い出の赤いオーバーコートのことを 「可愛らしく」歌う・・・・という大前提があるため、音域的にはアリでも「無理っ!!」というのを 10日ばかし続けた気がする(爆)。 ちょっと気が強い女の子、初めてのダンスパーティに誘ってくれた相手がいるのに、 些細なことで機嫌を損ね、怒って会場を飛び出してしまう・・・・という、ちょっとこまっしゃくれたところは ダブルキャストのもう1人の子と比べても、雰囲気的にピッタリだと言われたものの、 ソロ曲に差し掛かると、「少女らしさ」でガクリと劣ってしまい(爆)、 ダブルキャストの子にはとてもよく似合った、フリフリの白いドレスもあたくしにはちっとも似合わず。。。 これはあたくしの思い込みではなくて、
「みっちゃん(仮名)には似合うけど、日野にはちょっと・・・・」
「役柄的にアリはアリかもしれないけど・・・・似合わなさ過ぎる( ̄∇ ̄;)」
「切り込み角度が違うからなぁ・・・・同じ役なのに。」
「つか、太って見えるのは目の錯覚か??」
等々、同士に散々扱き下ろされたのもあり(正直者の同士ばかりだ(爆))、急遽、衣裳まで別のドレスを 外部公演にもかかわらず学科の衣装部に発注するという、前代未聞のダブルキャストであった。
歌はダブルキャスト2人揃って難航し(笑)、何とか本番までには、ホント何とかなったんだけど、 相手役の男の子もダブルキャストにもかかわらず、2人ともミュー研(ミュージカル研究会)の子で、 高音が美しく出る逸材だったため、どっちと組んでもこりゃもう、しょうがねぇな・・・・みたいな感じだった。
テレビで先生の姿を見ていたら、たった1度きりのあのミュージカル公演のことを それはもう克明に思い出してしまった。 10年近く東京にいたけれど、東京でミュージカルをやったのはあれが最初で最後。 しかも、ホールはさいの国さいたま芸術劇場(笑)。埼玉のど真ん中(当時、与野本町駅から徒歩10分) すごくいいホールなんですよ。あの頃、まだ出来たばっかりですごく綺麗だったし キャパはそんなに大きくないけれど、組み方によってはきちんとオケピも組めて、円形劇場にもできたし うちらみたいなペーペーが、おいそれと「出ちゃいますよ〜♪」と利用できるような小屋ではない。
そんなこんなのハチャメチャな稽古期間を終えた頃には、精も根も尽き果てて、 客を呼ぶのを忘れるくらい(爆)。 まだ学生だったので、向こうにそれといったツテもなく、「う〜ん・・・・」となっていたあの会場へ わざわざ足を運んでくれたのは、当時、関東の海沿いに在住していたトモくんだけだった。 この田舎から関東へ進出していた人間は、そうでなくても少ないという実情がなんか哀しい(涙)。
この経験から、「ミュージカルはやっぱ無理だろ・・・・」とオノレで悟ったものの、 数年前に「復活!!」と銘打って立った舞台もミュージカル・・・・。 芝居と歌までは何とかなるものの、ここにダンスが加わることで、ボロボロのメタメタになるのは 自分が一番良くわかっていたけれど、舞台に立たないよりはマシ。 ・・・・ってな感じで、テレビに映った先生の姿を拝みつつ、ストレートプレイに思いを馳せる、 まだ正義の味方気取りをやめていない、アサミンジャーなのでした。
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