あたくしにはまだ子供がいないけれど、周囲では子育て談義に花が咲くようになってきた。 そういった環境に自分を放り込んではいないけれど、子供が持つ莫大な可能性に期待する、 その親の気持ちは何となくわからなくもない(笑)。
あたくし自身は保育園から高校を卒業するまでは全て公立。 私学に行ったのは大学になってからだ。 私学には確固たる教育理念や方向性があるのに対し、公立にはどんな子にも対応できるようにある・・・・ というのが、まぁ建前上の言い分である。 私学に関していうのであれば、建前も本音もなく、実際そうなんだろうけれど、 公立をよしとしない風潮が、この田舎にはまだないので、皆、足並みを揃えるようにして 同じ学区の中学を卒業し、普通に学業や部活をこなすのであれば、高校も公立で十分、 可能性は無限大ではあった。
公立にはまりきれない子というのも、当時から何人もいた気がするけれど それでも学校の機能上、何とかなっていた気がする。 教育熱心な教員がまだ沢山サバイヴしていたし、中学を卒業するまでは、何とかなっていたものだ。
例えば。 あたくしの友人であるミユキなんかは公立の保育園で保育士をしているけれど、 彼女の言い分は、本当に言い得ている。 できる子とそうでない子の差が激しすぎる・・・・というのである。 まぁ、3〜6歳くらいの子供って、どんなことに適性を見出せるかわかったものじゃないし、 この時期で、できる・できないをハッキリさせてしまうのは酷なような気もするのだけど、 奔放に教育することだけが理想的・・・・とは限らないらしい。
数年前。日本で革新的な保育をしているところの真似を始めた彼女の保育園では、 何もかもが奔放になり始めた。子供の自立心を養うというのが旗印だったそうなのだけど、 ここを巣立って、小学校に通うようになってから、その子供たちに対するクレームが小学校の方から 来るようになったのだという。 45分間、集中して授業を受けていられない。 席を勝手に立ち歩く。 基本的なマナーやルールを理解できない子が多すぎる。 お宅では一体何を教えているのか!?
と、このようなクレームを経て、今では再び改善をし、年長組では、学校に入ってから困らないようにと とにかく机に向かって45分間、何かの作業が続けてできるようにと方針を変えたらしい。
それでも彼女の悩みは尽きない。 地べた族から卒業しきれていない、若いママたちが、保育園の送り迎えの時ですら、 その習性をそのまま発揮( ̄∇ ̄;) 注意したところで何ともならないのだという。 また、子供におしゃれをさせるにも限度というものがあるものを、男の子でもマニキュアをしてきたり、 髪を染めたりなんていうのは、当たり前のようになされているようだ。
あたくしはこの話を聞いて、「はぁっ!? 保育園児がマニキュア!?」と、それこそ口に出してまで 呆れ果てたのであるが、これらはまだまだ序の口で、酷いのになると、送迎の時間を勝手に無視して、 自分の都合のいい時にだけ、園に子供を押し付けるとんでもない親もいるんだそうだ。
一方。 あたくしのお友達のユリ姐んとこの、楓ちんは、確か、この5月で3歳になるのだけど 奔放とはいえ、すくすくと成長している。 特に、「色」に対する執着が凄いらしく、緑色のものが大好きなんだそうだ。 他の同い年くらいの子たちは、大人と普通に会話ができるくらいにおしゃべりになり、 コミュニケーションの仕方も様々になってきているらしいけれど、ユリ姐は いい意味でとってもマイペース♪ 楓ちんのペースでトイレトレーニングや卒乳も進めて、 言葉がよその子より遅くても、楓ちんを急かしたりしない。 あたくしは、何だかこの親子がとっても愛しく思えて、楓ちんが緑色の世界で 何とか大成しないものかしら・・・・♪などと、密かに期待しているくらいだ。
その子にどんな適性があるのかはわからないけれど、伸ばせるものならば伸ばしてやりたい親心。 また、環境を整えたがるのも親心・・・・色々あると思うんだけど、 奔放に、やりたいように・・・・というのは、やっぱり3〜6歳のうちは難しいことなのかもしれない。 詰め込みはよろしくない・・・・というそういう気持ちもわかるけれど、3歳までにご挨拶、 6歳までに他人とのコミュニケーションをきちんととれる、この2つは詰め込みでも何でも、 「礼」に属するものだから、脳みその柔らかいうちにやっておいた方がいい。
でも個人的には、親バカフルパワーで、子供にあれこれやらせたり、色々教えたがったりする人って 嫌いじゃないんだな♪ 寧ろ、早い時期から間違った方向で「自由に」「奔放に」とか言う人の方が、危ない気がする。 現代は選択肢がいっぱいあるから、どんな風にでも生きていけるけれど、 齢10にも満たない子供が、既にドロップアウトしている様は、 偏見云々置いておいて、やはりどこかに問題が潜んでいそうだ。 環境とか適性とか、そういうものに責任を転嫁する前に、親がオノレを省みないと 一生、子供はその輪廻の中で苦しむ気がするのは、まだあたくしが親ではないからそう見えるのか? それとも真実なのか・・・・?
あたくしの周囲にも、義務教育半ばにしてドロップアウトした子がいるけれど、 それは明らかに教育者に問題があったパターンで、その子の親やその子自身は、 公立の教育機関の中できちんと機能できる可能性を、しっかりと持っていた。
どんな風にでも生きていけるとはいうけれど、本当に「適性」を見つけるのは、 親ではなく本人だから、親が出来るだけ沢山のものを与えたがるのが本能なのかもなぁ。
|