2005年02月23日(水)
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アサミンジャーに花束を |
もう、ノッケから「アルジャーノン」と読み間違えた人、多分4人くらい(爆)。 あの本は読んでいない。ダニエル・キイスは確かに偉大だと思うけれど、 ミリオンセラーになる前に、ミリオンセラーになりそうな本を発掘する方が好きなので、 まぁ、そういった理由で読んでいない。 今丁度、お昼の再放送枠で、サンタマリアが熱演中。 これを見ていると、まぁ、無理な設定は多々あるものの、きっと本編は面白いんだろうなぁとは思う。 ある日突然、知能指数がバカみたいに跳ね上がったら、世界は本当に変わるんだろうな・・・・ そんなことを思いながら、2度目の視聴をしている。
今も平積みになっている書店が多いが、「キッパリ!」っていう、自分を変えるための項目が 何十個かズラって並んで、傍らに4コママンガがついている、あの本・・・・。 よく、女性専門書籍のところに、これ見よがしに置いてありますが、あれも店頭でパラパラとやっただけ。 店頭でパラパラだけで、凡その内容が頭に入る。 「できる」「できない」「実行した」のチェック項目がある中、 「できない」ものくらいはすぐに暗記できる。その中で、自分のライフスタイルにあった中で、 本当に実行できそうなものというと、また数が限られてくるので、それを徹底暗記する。 と、買わなくて済む(爆)。
その中に、こんな項目がすごく印象に残っている。
●その日出したものは、その日のうちに片付ける。その日のうちなら絶対にスペースはある!
●磨けば光るモノを徹底的に磨こう! ストレス解消にもなるし一石二鳥!
お掃除、お片付けが嫌いなアサミンジャーにとって、とってもわかりやすいポジティブシンキングな説明、 どうもありがとでやんす♪ おかげさまで最低、この2つをこなしている限り、最悪に乱れることはない・・・・ということを悟りました。 しかも、何度も熟読すべきでなく、自分が言われて、物凄く気になることっつうのは 結構頭に残るもので、事実、それを実践すると、更に刷り込み効果で日常化する。
→ということはこの本はいらなくなる。→やっぱり買わなくてよかったんじゃん♪ →次の「NANA」にお金が使える♪ →次の「NANA」を買う時にまた見てくれば、ネタが増える →ありがたや、ありがたや♪(なむなむ)
とこういうサイクルは非常に効率的(爆)。覚えていられる自分の脳みそに感謝。 大概、雑学集めも、本屋か図書館でする。覚えるまで読む。覚えられなければ買う。 この定理に従って、あたくしの書棚は資料系・辞典系がごっそりと増えていく。 完全理系の化学兵器や、銃の構造など、図解やオプショナルを初見で見ただけで覚えられるわけもなく 加えて、1000ページ以上の辞書関連の逐一が全部頭の中に入るのであれば、 こうも苦労はしない。
人間の知能指数は、今のあたくしの丁度倍の数値まで伸びるらしいのだけど、 そこまでなったら、ある種、発狂しそうで嫌だ。 花束を手向けられる時は、一番輝いている時がいい。嫌な死に方だけはしたくはないものだ。
あたくしには、もう忘れてもよさそうな記憶が、まだ脳みその中に断片的に残っている。 いや、アレは、断片的なんて可愛いもんじゃないな。 かなり鮮明に残っている。 色んな知識や雑学を詰め込んでも尚、それらを自動的に忘れていくというふうにはならない。 微分積分の時に出てきた、∫(インテグラル)の名前は知ってても、使い方は忘れてしまうくせに、 どうでもいいことは、本当に完全に覚えているから世話がない。 閃きや直感も、いつも自分の引き出しの中から飛び出してくる。 経験値がそんなに豊富じゃないのに、たった一度、見聞きしたり、立ち入ったりしたことは、 「一度限りなんだから」という理由で、またこれ、物凄く鮮明に覚えている。 なのにIQは110そこそこですよ。 ああ、そういえば、記憶関連の問題に関しては、パーフェクトだったな・・・・コイツが原因か( ̄∇ ̄;)
今ね、某クイズ番組に出場するために、予選応募を出して、通知を待ってるところ。 加えて、とてつもない容量の雑学と誰かとの競争をとにもかくにも欲求しているところで、 入れても入れても零れ落ちていく情報がきちんと留まるように、必死に立ち向かっている。 故、例えば料理の本は1回読んで、メモもとらずに実践してみて、必ず成功を修める・・・・という 短絡的で確実な日常生活への応用を心がけている。
1回、目にしたら忘れない・・・・なんてさぁ、理想なんだけどさぁ。 覚えているままだと、コレがまた相当厄介なことにもなるんだよなぁ・・・・。
例えば。 冒頭に出した著書の中に出てくるネズミや青年のようになったとしよう。 今の状態からそうなったとしよう。
周囲にあったわけもわからないものが急にわかるようになる→わかるようになれば楽しい♪ →もっと追究したい→もっと楽しい→でも限界は見えてくる→しかし不可能を可能にしたい →可能になればなったで不自由が生じる→あたくしの場合、それがストレスとなり・・・・ →やがてそれが原因で早死にする(苦笑)
まぁ、絵に描いたようなバッドエンド。 そんなあたくしに花束を手向けてくれる人が、この世の中にいるとするのであれば、 その人たちに、謝罪してから死ななければならないのかもしれないなぁ。 今日も無気力だが、無気力なりに色々考えた。
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