せいぎ 【正義】 道理にかなっていて、正しいこと。
たまに自分が暴走してしまうクセがあると自覚しているので、最初に予防線として、 「正義」が何たるかを辞書で調べて(爆)、冒頭に明記しておくことにした。 なぜなら、ペンは人を殺す能力を持っており、時に剣より強いと昔からそういわれているのもある。
が、「正義」の定義がこの程度のものならば、あたくしは胸を張って人くらい殺せそう(爆)。 かといって、罪に問われることはしない。それは道理にかなっていないし、正しくない。
辞書をひいて、明文化して思った。 万人に通用する「正義」なんて、そもそもないんだな・・・・と。 誰かの正義は、すぐに誰かにとっての悪になりうる。そんなもんだ。
自分では正しいと信じ、道理にかなっていると思い、それを行動や言動に移しても 他人から見れば、間違いだらけの筋違い・・・・そんなことも多々ある。 斯く言うあたくしも、数多なる誤解を潜り抜けて、それでも尚、今でも生き続けている。 殺されてもおかしくない、そういうシチュエイションに何度お目にかかったことか。 それでも生きていられるということは、あたくしの中に存在する「正義」が少なくとも 当事者以外の誰かを揺るがした証・・・・そういうふうに解釈するのは曲解だろうか?
ずっとあたくしの課題でもあった、「いい子ちゃん病」克服。 よくわかんないんだけど、ここ最近・・・・そうだな、1〜2ヶ月くらいのスパンになるかな この課題が、少しずつではあるがだんだん低いハードルになってきた気がしている。 これに明らかな加担をしていてくれるぷよ2には感謝せねばならないだろう。 正義という言葉を借りるならば、この人のために死ねる・・・・ではなく、この人の名誉のために 他人を殺せる・・・・そんな程度に回復してきた。 自分の配偶者の名誉を著しく踏み躙られたら、あたくしは右手にはペン、左手には剣を持ち 正義の名の下、断固として戦い、そして、確実に勝利をもぎ取って帰還するだろう。 (嗚呼・・・・両利きってすんごい便利♪) もう少し小賢しく言うと、ただの逆恨みではなく、法的手段も辞さないということ。 せっかく脳みそがあるんだから、体だけではなく、そっちも使うよ( ̄^ ̄)ということ。
結婚を経て、あたくしは変わった。 若い頃は「この人のためになら死んでもいい!」などと、すぐに思ったものだが、 それは本当に一時的な麻疹のようなもので、10代や20代前半までのこと。 ここ数年、色恋こそ幾たびかあったけれど、元々が老成しているのか、 上記のようなことは考えたこともなかった(苦笑)。 で、今、同じようなことが頭をよぎるかというと、それがまた違うのである。 「この人を守るためならば、完全犯罪を企てるくらいに、頭と体を使うわ!」 そんなふうに変わってきたのである。
あたくしは特定の人に守られる存在になった。 それと同時に、特定の人を確実に守り抜く存在にもなったのだ。 ここに、あたくしの「正義」は登場する。 あたくしの「正義」なんだから、他人がどう言おうが、とりあえず「正義」なのである。 ・・・・考えてみると、「正義」ほど曖昧で便利な理論はないのね。 そして、個々に於いて曲解が混ざっていたりするので、この言葉は思いきりぶつかることもあれば 他人を貶める、逃げ口上としても使えるというわけだ。
ずるいとか、汚いとか、そういう話はおいといて、自分の中に、きちんと「正義」は存在するのか?? っていう話。 「いい子ちゃん病」と全面対決していた頃のあたくしには、「自分の」正義がなかった。 世の中のわりとどこにもぶつからない、普遍的でまっとうなことが正義だと履き違えていた。 オーアエに根気強く説得されてもなかなか理解できなかった。 だけど今になってようやく、「正義」が何たるか、そしてどうしてそれが自分の中に必要なのか それがやっと見えてきた気がする。 悪人になれ〜( ̄ー ̄)ニヤリッ と、オーアエが言う度に「誰がなるもんかいなっ!」と 頑なになっていたんだけど、考えてみれば、「正義」を手に入れることがイコール 彼が言うところの「悪くなる」(笑)だったのかもしれない。
世間的にどうとか、そういう問題じゃなかったんだ。 自分がどう考えるか、どう筋道を立てて動けるか、そしてそれをきちんと理解して信用できるか、 それにかかっていたというのに・・・・。 おんな三十・・・・気付くのが遅かったでしょうか。 今ならばその正義に基づいて、ペンで人を殺すことくらい辞さない。 守るべきものは守らなきゃ。邪魔者は躊躇せずに消さなくちゃ。
少し飛躍するけれど・・・・。 ここを読みに来て下さる方々も、そう多くはないが、毎日毎日、何らかの形での訪問を受ける。 文責を負うという大事なことも学んだつもりだ。 その上で、あえて書くのだけれど、ペンが人を殺す怖さをわかった上で、あたくしはひょっとしたら この場所でもそれを実行してしまうかもしれません。・・・・万が一、の話ですが。 しかし、そこに自分の正義がある限り、あたくしは自分自身の事を守り、 そしてあたくしのことを守ってくれる人に対しても、その正義を如何なく振りかざすつもりです。
そのペンを握るのは、私。 正義を振りかざすのも、私。
決意表明というか、整理整頓したら、モヤモヤしていたものがスッキリとした。 自分で自分の病を「治った!」と思い込むのは良くないことだが、 今の姿をオーアエが見たら、多分、きちんと見放してくれるだろう。 見放されても、怖くも何ともないもの。
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