ある人から、メールが届いた。 そこには、その人との共通の恩師の訃報が綴られていた。 このメールは昨日の夜に届いたものだが、今朝の新聞で改めてその恩師が 肺炎で亡くなられたことを知った。 亡くなった恩師は、新聞に載るくらいの功績を残していた人だったんだということも改めて知る。
亡くなった先生は、確かに我々共通の恩師には違いなかったが、 メールを送ってきてくれた人は、卒業後も長きに渡り、公私共に世話になってきたらしく、 交流は同じ同窓生に比べて遥かに深く長いものであった。
死を報されて、多分、直後にあたくしのところに打電してきたのであろう。 この人のメールには、こうあった。
「『いったい何を思えばいいのだろう』というのが正直な気持ちだ。 悲しみってそんなにすぐには押し寄せてこないものなんだろうか・・・・ 私は今何事もなく普段どおりの生活をしている。 父方の祖母がなくなった時も、母方の祖父が亡くなった時も、 自分があまりに平常心でいられることに対してそのたびに 『私はひょっとしてものすごく冷たい人間なのだろうか』と考えた。」(後略)
何とストレートで、正直な気持ちを綴ってあるのだろう・・・・と、蓋し感心するくらいだった。 しかし、どんな形にせよ、この人は自分のことを遠まわしに責めている。 あたくしの二の舞は踏ませたくない。 人の生き死にで、心を病むのがどんなに辛くてやりきれないか、それを知ってしまっている以上、 あたくしには、それを伝達しなければならない義務があるように思え、 こういう時に、ダラダラと長文を書くものではないと思っていながらも、 この人が、本当の意味での平静を取り戻すことを祈りながら、メールの返事として 自分が思っていることを書き連ねた。
(一部抜粋)「もし、急に空虚な気持ちに襲われたとしても、貴方には既に為さねばならない役割がある。 貴方でなければならない、代わりのいない存在になっていることをどうか思い出して。 そして、そんな気持ちになったら、改めて、手を合わせればいい。 哀しみだけが、故人を幸せにするんじゃない、 どうかその時は、きちんと『感謝』の気持ちを伝えるべく、故人に対し合掌してあげてください。 無宗教の私がこんなことを説いても、それこそ説得力に欠けると思うけれど、 そういう気持ちになるのにだって、個人差があるものと思った方がいい。」
本当はこのスペースにこの内容について、書くか否か迷ったんだけど、 あたくし自身、「人の死」に振り回されて、病状を悪化させた、その張本人だから、 自分のリハビリのために、この人のメールを利用させてもらうことにした。
「また誰か、近しい人が死んだら、私はまた元の最悪の状態になるんじゃないかって 今も、心のどこかでビクビクしているんだ。 錆びないブリキよりもっと不安定で修繕不可能な人形より、 私は健やかなブリキ人形に憧れる・・・・ないものねだりかもしれないけれど。」
あたくしも、本当の気持ちを書いた。 何故ならこの人も、人の死に直面し、それがとても近しい人なのに、哀しみが沸き上がってこない、 と、それは正直に吐露してくれたからだ。
「なのにどうしてこんなに平常心でいられるのだろう? ご病状の悪化を知っていてある程度覚悟があったからだろうか? 病院のベッドの上での苦しそうなお姿を見て『いっそ早く楽になった方がいいだろうに』と 思っていたからだろうか? 身近な人が亡くなるたびに自分がブリキの人形になったような気がする。 それともこうして悲しまない自分について悩むだけでもまだましなんだろうか?」
ドロシーと一緒に旅をするブリキ人形は「温かな人間の心が欲しい」と言った。 弱虫なライオンは「勇気が欲しい」と言った。 案山子は何が欲しいと言っていたんだっけ・・・・? 虹の向こう側にあるといわれるその国で、自分の欲しいものを1つだけ与えてもらえるというその国で。
「オーバー・ザ・レインボー」の話を思い出しながら、あたくしは思った。
この人の心は、ブリキ人形なんかではない、と。 歪曲して表出してこないだけで、人の死の悼みをきちんと受け止め、噛み締めていて、 誰よりもその気持ちが強いだろうことを、あたくしは知っている。 表出してくる何かだけが、その人の全ての感情ではない。
あたくしも、近しい恩師の死がトリガーとなって、落ちるところまで落ちた。 最悪の状態になった。 彼が生きていれば・・・・と、何度そう思ったか。 死を悼む反面で、恨んでいた。 哀しむ反面で、怒っていた。 その気持ちを、例えばオーアエの前で、少しずつ吐露することによって、 あたくしは、ほんの少しだけ救われて、ほんの少しだけ沈静化して、 日々、その、「ほんの少し」を頼りに生きているようなものだ。
この人のメールの返事に書いた通り、また誰か近しい人が亡くなったら、 またボロボロの生活になるんじゃないかと思うと、あたくしなどはブリキ人形の健やかさが 羨ましくてたまらない。 ブリキ人形は、きっと、素直に涙する、その仕組みが羨ましいのかもしれないだろうが。
しかし、「涙」という形が、必ずしも死を悼む表現ではないんだ。 それひとつではない。 故人のために笑ってあげた方がいい供養になる場合だってある。 故人のために平素どおりに振舞った方がいい場合だってある。 亡くなった人に対する感情と、亡くなった人が求めてきた何かが合致することは 珍しいことだと思っている。
あたくしの叔母は、常々
「私が死んだら、大々的にビートルズを流しておいてね!」
と、あたくしが幼少の頃から、そう言ってきかない人だ。 自由葬や生前葬がまだ物凄く珍しかった時代から、そう言い続けている。 死を悼む気持ちがあるなら、彼女が死んだ時は、斎場から大音量できっと、延々、 ビートルズの楽曲が流れることになるんだろう。 そういう場合があるように、この人が恩師の死を悼んでいないということには決してならないと思う。 この人なりの気持ちがどこかに流動していて、故人に対する感情だってきちんと存在する。 ただ涙を流すことが、故人にとっての供養になるとは思えない。
我が家でも、愛犬が死んだ日、サヨコは泣いていたが、あたくしは泣かなかった。 祖母が死んだ日、駆けつけた叔母たちは泣きじゃくっていたが、サヨコは放心状態だった。 あたくしもワンワン泣いて、いつもは寝すぎなくらいに寝るのに、この日は夜もろくろく眠れずに、 沈痛な気持ちでいた。12歳・・・・小学6年の時だった。 近すぎるから涙が出る、また真逆に近すぎるからこそ涙も出やしない・・・・そんなことを 間近に見たので、哀しみの度合いを「涙」だけで計るのは愚かしいと、この時既に感じていた。 結局、1年半ほど自宅で寝たきりだった祖母の世話をずっと続けてきたサヨコは、 あたくしの前では泣いていなかった気がする。 絶対に、この人が一番悲しいに違いないと、あたくしは自分が泣きながらそう思っていたんだけど、 不思議と、涙を流さない母親がとても哀しげに見えて、泣いている自分が逆に困った。
このページを、メールをくれたあの人は見ているだろうか・・・・。 伝えきれない何かを書いたつもりなんだけど・・・・。 抜粋とはいえ、転載して気を悪くしているだろうか・・・・? だとしたら、きちんと謝っておかねばならない。
・・・・貴方の沈痛な気持ちを、安易に推し量ったことを、許してほしい。 でも・・・・貴方はやっぱり、「ブリキの人形」なんかじゃないんだよ。
今夜はきっと、彼の通夜に列席し、この人もきっと様々な思いを巡らせることと思う。 あたくしは学生時代のほんの僅かな間、お世話になっただけの人だけれども、 訃報を聞けば、やはり物寂しい。 が、長く離れて、先生ご自身もあたくしのことを忘れてしまっている可能性も高いので、 あたくしは静かに手を合わせるくらいのことしかできないだろう。 しかし、卒業後も身近にいた人間にしてみれば、もっと複雑で、身内のような気持ちになることも あるんじゃないかと思う。 涙が出なくても、あたくしは、このメールをくれた人がどれだけ恩師の死を悼んでいるのか、 きっと本人よりも感じ取ってしまうかもしれない。 「哀しい」という気持ちが沸き上がってこない、そんなことは、身近であればあるほど よくあることなんだ・・・・。
あたくしが以前、恩師を亡くして、その第一報を聞いた時、俄かに信じられなくて、 誰かがあたくしを騙そうとしていて、悪いジョークを言っているのだと思い、 一瞬、口が歪んで笑ったみたいな表情になってしまったことを、今でもよく覚えている。 同窓生の中では、一番にこの情報をキャッチしたはずであるあたくしは、 家に帰ってから、留守番電話に何件もコールの痕跡があっても、すぐにそれを聞けなかった。 まさか、ホームに飛び込んで轢断死だなんて、いきなりすぎるもの・・・・。 お通夜の席で遺影を見たのだけど、この人は、いつもこんな表情をしていたっけ?と 不思議な気持ちになった。 轢断死・・・・ということで、最期の表情は見せてもらえなかった。 あたくしが未だに心のどこかでひっかかっている、その要因のひとつが、 このお通夜の席での、恩師の扱われ方だったかもしれないと、今になってそう思う。
生きるだけ生きた・・・・そういうふうに見てもらえない、哀しき棺。 七回忌が過ぎた今でも、何か釈然としない思いが、あたくしの中に残り続けている。
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