2004年05月20日(木)
ハンバーグにこめた殺意


相変わらず多いです。佐々木みきで検索してやってくる人々が( ̄∇ ̄;)
無論、彼女の一ファンとしてはありがたいのですが、如何せん、アサミンジャー
誰それのファン・・・・とかいうカテゴリでいくと、「広く浅く」みたいなところがあるので、
彼女のプライベートであるとか、凡そのプロフィールなんかは全然知らなくて、
ただ、プレイスタイルが凄くあたくし好みだなぁ・・・・( ̄¬ ̄*)♪ってだけなんで(苦笑)。


例外があるにはあって・・・・それはPRINCESS PRINCESSなんだけど、
彼女たちが解散してしまった現在、彼女たちのカルトな部分を知ろうとしている人は少ないのか、
一応、サイトに専用ページもあるんだけど、そっちへのヒットはあんまりないみたい(爆)。


さて・・・・。話のマクラはこのくらいにして。
今日は、およそ15年前に遡った話でもしようかと思います。
丁度昨日、夕飯のメインがハンバーグで・・・・肉より豆腐がメイン・・・・高タンパク低カロリーを目指す
それをこねながら、中学2年の時の家庭科でやった、調理実習のことを思い出していたのだ。


14歳のアサミンジャー・・・・まるで尾崎豊の歌詞みたいに、とんがった少女でした(爆)。
反抗期真っ盛り・・・・だけど学校では優等生を「やらなくちゃいけない」という、微妙な立場で、
日々、ストレスまみれ・・・・かなりの鬱憤を抱えて生活していた。
よく、心身ともに破綻を来さなかったものだと、今思うと感心するくらいに
相当に揺れ動きが激しくて、哀しいことに、あたくしのそんな琴線ギリギリの心情を
上手に理解してくれる同朋や先輩、または指導者に恵まれなかったため、
あたくしのサブバッグの中には、いつも、サバイバルナイフが入っている・・・・という始末だった。

だからこの後、ありとあらゆる事件で、中学生とか高校生とかがいきなりキレて、
刃傷沙汰になったりだとか、殺人事件になっちゃったりとかいうのを、
実は笑って見てられなかったりして、一歩間違えば自分も「あっちサイド」の人間だったんだなぁ・・・・
と、奇妙な冷静さを持ちつつも、内心では、いつ自分が同じように壊れてしまうかわからない・・・・
という恐怖心を、大人になってからも常々持ち続けていた。

オーアエ


「この異常なほどの衝動性と、それを抑える自制心の拮抗が崩れずに今まで来たのは、
一体どういうことなのか??
ホントに、少し間違うとボロボロになっているぞ?」



と、ロールシャッハの結果をしげしげと見つめながらそう言われた時に、
あたくしは口には出さなかったけれど、丁度、この14歳当時の頃のことが鮮明に頭を過っていた。


「この手でぶっ殺すリスト」なるものが、あたくしの中で常に可変式で存在していて、
常時10人前後の人間が上位争いをしてる・・・・なんてことをここの日記に書いたりしたことがあったが
その「リスト」がばばーんっ!!と出来上がるきっかけになった人間とあたくしは14の頃に出会っている。


それが、中学2年の時の担任、M氏であった。


大体あたくしは、職員室での評判もそこそこだったので、担任との距離やペースをつかむのに
およそ1ヶ月くらいかけて、どういうふうに自分をクラスの中で位置づけていったらよいかというのを
見定める。
しかし、M氏のクラスになって初めて、恐ろしいほどの「違和感」みたいなものが
あたくしを襲ったのである。


まぁ・・・・あの、洗脳教育推進校のすることだから、大概のことはへっちゃらになっていたけれど、
実は、2年に持ち上がる時も、学年を統括している先生から奇妙な打診があったのだ。


「担任が使えない恐れがある。男子生徒も少々弱いのが多い。
いいか、日野。お前がとりあえずひっぱりあげろよ。」



何という打診内容だろうか・・・・??
14の少女に、クラスの運営を全て預けるかのようなこの言い様に、あたくしは
モロ、釈然としないものを感じていた。
担任が使えないとはどういうことか?
まぁ、男子生徒の押しの弱さは、この学年に相対して言えることだから、それはいいとして・・・・
同じ教員同士、使える、使えないの線引きをどうやってしているのか・・・・という
単純な疑問が沸きあがったのだが、その疑問もすぐに解消した。


M氏は確かに使えないオトコであった。


きっと、職員室でも言われていたんだろう。


「日野にとりあえず任せてみたらどうですか?」


とか・・・・。
最初のうちは、全権を委任されていたことに気を良くしていたあたくしだったのだけど、
そのうち、1人ではどうしても解決できないことが次々と勃発するのが、中学生のクラスというものだ。
1ヶ月経って、ある日、あたくしは面倒だったけれど、担任M氏の意見を伺ったことがある。
その答えに、あたくしは不満というよりも、明らかな憤慨の気持ちを抱いてしまったのだ。

仮にも自分のクラスだろう?
1ヶ月、本当に何も考えずに、ただ黙って見ていただけというのか?
1ヶ月あれば・・・・1ヶ月もあれば普通は・・・・いや、小学生でも空気の流れは読めるはずなのに。
そんな簡単なことを、この大人は出来ないでいるのか??
あたくしは、裏サイドから別の先生に、「やってみろ」という命令を出され、
多少の無理が生じても、それを素直に敢行していたというのに、
この大人は・・・・本当に「何もしないで」ただ見てただけなのか??

無性に腹が立った。

やがてその感情は、「殺意」みたいなものに変わった。


丁度、この感情が最高潮に高まっていた頃、あたくしはこのクラスの実権をほぼ握っており、
男子生徒にも口出しをさせずに、クラス内で決めなければならないことは、半ば
ごり押しな状況でも推し進めるまでになっていた。
あたくしの超・個人的な旗色に靡く者も何人か出始め、彼の専門である美術の授業や、
担任として行なわねばならない道徳の授業、ホームルーム等は、あたくしがボイコットすれば、
何人か後に続き、だんだんその動きが過激化していた。


あたくしは、既にこの頃から「個人主義」だったので、群れるのは嫌いだったが、
ついてきちゃったものは仕方がないし、別段、困ることもなかったので、
調子に乗って、あれこれやっている輩に対しては、見て見ぬ振り。
しかし、自分の主張として、M氏への反抗だけは絶対に手を緩めなかった。


授業で彼に指名された場合は、たとえ20分だろうが30分だろうが、無言を貫き通し、
仕事を頼まれても、「今現在の状況では、不必要です。」の一言で突っ撥ねた。
1ヶ月間の放置に対する報復とばかりに、あたくしの逆襲がどんどんエスカレートしていったのである。


なかなか纏まりを見せないクラスに対し、さすがのM氏も焦りを見せ始めた頃、
M氏に対する反骨精神が昂ぶってきた、クラスメイトを見定めて、
あたくしは、クラスの結束を固めることに成功した。
しかし、その結束の中にM氏はもちろん含まれておらず、行事や作業の進捗状況を
わざと教えずに、本番当日・・・・とかいう、いじめ的なことも数々した。


そんなある日。
女子生徒の家庭科の授業で、ハンバーグを作る・・・・という調理実習があった。
大概、どこの学校でもそうだと思うけれど、グループ持ち回り制で、一班だけ1人前余分に作り、
職員室にいる担任にも試食してもらう・・・・なんてのがあると思うが、
我々の母校でもそれが根強く残っており、丁度このハンバーグの日は、あたくしの班が
担任の分を作る番だった。

ここぞとばかりに頭をつき合わせて、作戦を練った。
日々のイライラを何とか解消しないことには、毎日積み重ねられるこの負荷から
1年間、ほとんど逃れられない・・・・そう気付いて、本人には悟られないように、
ハンバーグにちょっとした細工を施そう♪ということになったのである。
家庭科の先生にもばれないように、無論、本人にもばれないように、我々の班は、
各自、憎悪のたけを「調味料」にぶつけることにし、全ての材料は学校で用意してくれるにも拘らず、
自宅から、関係のないスパイスやら、まぁ食べても害はなさそうな・・・・だけど
ハンバーグには到底合わなさそうな食品をこっそり持ち寄り、M氏のハンバーグにだけそれを混ぜ込んで
何食わぬ顔をして職員室に運んだ。


彼はそれを、美味しい、美味しいと言って完食した。


我々は

「味覚、おかしいんじゃねぇの??」

「うちらのと同じにしなくてよかったかもよ(笑)」


などと、鬼のような呟きを放課後に囁きあって、とりあえずの溜飲を下げたのである。
彼が、不味いと言って残そうが、美味いと言って食べきろうが、そんなことはどっちでも良かったのだ。
ただ、我々は、彼のハンバーグに「だけ」その憎悪のたけをそれぞれぶち込んで、
スッキリしたかったのだ。
で、それも叶ったことだし、次の調理実習は、別の班が彼に試食をさせるってんで
あれこれ作戦を練っているのを横目で見ながら、とりあえず、スッキリしたので
それでよし・・・・と思っていたのだけど。


この話には続きがあって・・・・。

↑周到な作戦だったが、デカい穴だった( ̄∇ ̄;)

しかも、この被害はあたくしにだけ及んだ被害で、加担した後のメンバーは無罪放免・・・・。
ここであたくしは、人生の機微たるものを学ぶのである(苦笑)。

「どうせお前が先導したんだろう?」

「先導せずとも、引き止めるのがお前の役目だろう?」


散々言われても尚、以降半年、再びクラス委員にのし上げられて、あたくしは辟易としてしまった。
もう、このクラスでなんかやってく自信なんかなかった。
ほとんどやけくそで、残りの半期もクラス委員をしていたが、M氏とは結局卒業するまで、
和解のわの字もないままだった。


実は、M氏の評判は、子供らの口伝に親にまで広まり、PTAでも物凄い悪評になっていたので、
あたくしも、数々の嫌がらせをしたにも拘らず、謝罪する気持ちが全く沸かなかったのである。
彼はキャリアを目指していたのか、翌年も別のクラスのクラス担任を受け持ち、
何年か後には別の学校へ赴任していったかと思いきや、更に2年後くらいにいきなり教育委員会に入り
そのまま、どこかの学校の教頭になった。
あの教師が、現場にいるのは本当に厄介だけど、現場をはずれた上にいるのはもっと厄介だろうな・・・・
と思ったのは、多分あたくしだけではないだろう。


そもそも、教師たるもの、全ての生徒に愛されよ・・・・とまでは言わないけれど、
最低限、調理実習の試食用メニューに、わけのわからんものを入れられることはあってはならないと思う。
昨今、教育の現場も様変わりを見せたことと思うが、それでも、子供はわかってるのだ。
この大人が、本当に「考えている」のか、否かくらいは・・・・。


M氏は、多感な14歳にそれを見事に見破られ、こういうハメになったのである。
あたくしがサバイバルナイフを持ち歩くようになったのは、2年後期くらいからで、
3年に進級するまでの半年間くらい、それが続いた。
本当に良く切れるのだというのを、仲のいい友達にだけ、実際に見せたこともある。
友達は、ハッキリ言ってヒイていた。
そりゃ・・・・ヒクわな・・・・。
明らかに、あの頃のあたくしって正常じゃなかったもの。

↑発狂寸前だったのだ。

あのナイフは、以後、誰のことも傷つけることなく、安全に使用された。
あのスパンで、学び取って、本当に良かったなと思えることは、
「殺意」たるものを咀嚼して、何とか消化する術を身につけたことだろう。
あのまま、暴走に身を任せて放置しておいたら、あたくしは15か16には、
本当に誰かのことを傷つけ、もしくは命までも奪うことになったかもしれないからだ。
確かに、アウトサイダーに憧れる年代ではあったが、本物のアウトサイダーになったら、
結構大変だ・・・・というのを知ることが出来たので良かったと思っているけれど、
あの時殺した「感情」が大人になってから暴れているのだとしたら、コレはコレで厄介・・・・。

一思いに、M氏を刺しておけば、あたくしも救われたのかもなぁ・・・・。

あさみ


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