こう見えて(どう見えてんだ?)あんまり本を読まないアサミンジャー。モノを書くので、読書量もそれに比例するんかいな? とかいう短絡的な考えはポイしてちょうだい。あたくしねぇ・・・・活字中毒のピークはそれこそ小学校の頃に終えていて、あの頃読んだ本の内容って、ほとんど頭の中に整理整頓されていて、量もハンパじゃないけれど、質も良かったと思うの。その反動でか、まぁ中学に上がって、運動部に在籍してたのもあって、あんまり本を読まなくなった。これが高校にも入ると、ますます読まなくなって、小説とかよりも何かのルポとか、書くより演じた方が面白いな・・・・とかいうのがあって、今のあたくしに至るというわけ。でも、全く読んでいないというわけでもなくて、ヒマがあればちょくちょくつまみ食いする程度には目を通したりした。高校時代で一番影響を受けた小説は、山田詠美氏の「放課後の音符」で、以後それをズルズルと引き摺って、「自分でもオムニバス・・・・しかも、全部同じ主人公・・・・ってのが書けたらなぁ。」という執念じみた思いが、今現在、『雑』に投影されているというわけ。対極に、果物の名前みたいな作家さんが同時期に名を馳せていて、そっちも読んだりしたんだけど、何か、周囲と嗜好が合わないのか、あんまり面白いと思わなかった。文章が清潔である・・・・なんていう論評を目にしたこともあったけど、何が清潔で、何が不潔か、あたくし、そんなの、今の年齢になってもわかんないもん(笑)。だけど「書きたい!」欲はこれ、5歳の頃からず〜っと消えてなくて、書くためだったら、読んでやろうじゃん!!みたいな、とっても横柄な態度で、コンバットバイブル・・・・とか、アスペクトの二流特集(爆)とか、ガンガン読んだりした。だけど、まともな作家さん(どういう線引きで「まとも」なのか、あたくしもよくわかってない( ̄∇ ̄;))の書いた「小説」って、それでも読まなかった気がする。例えばね、本屋さんで「今、売れてます!」とかいうポップと共に、平積みされているようなそういう小説って、ダメなのよ。自分で手に取ってみて、書き出しとか、途中の記述とか、そういうのにババッと目が奪われたものは、少し高くても、ハードカバーでも買う。いい例が、堀田あけみという作家さんだ。彼女のデビュー作は有名で、映画にもなった。松下由樹という女優さんもその映画に出てた。まだメジャーデビューする前の話だ。この人の作品は、何でか邪険に出来なくて、文庫で何冊か読んだ上、ハードカバーも2〜3冊持っている。ただ、他人様にあんまり勧めないのは、会話が全部名古屋弁だとか、超局地的な話が出たりとか、とってもアクの強いところがあったりするので、個人的に楽しむ程度(笑)。引越しを控えているのだけど、そんなあたくしの部屋の中は、恐ろしいほどに散らかっている・・・・。書籍・原稿・洋服・・・・まぁ要するに、紙と布で占領されているわけ(苦笑)。ついこの間、『雑』に入稿したため、そっち関係のゲラの控えや原稿の資料、下書きのノート。原稿を書くのに、あたくしはこう見えて(だからどう見えてるんだっつうの!?)辞書がないと不安なので大辞林、三省堂新明解国語辞典、何でか知らんが古語辞典、英和辞典、和英辞典があっちゃこっちゃに転がってたり・・・・校正用辞書も開きっぱなし( ̄∇ ̄;)色紙の受注も賜っていたので、漢和辞典も付箋紙と一緒にすぐ手の届くところに出しっぱなし( ̄∇ ̄;)それ以前に、ミュージカルがあったため、そのスコアと台本がまだ片付けられずにその辺にあったり・・・・(ここが他人と違って、ウルトラモノグサなとこだな)ただ唯一、これだけは絶対になくすと自分が困る!!とわかっている、新居に関する書類だとか、そういった細々したものは、全部ドキュメントファイルの中に突っ込んで、絶対に失くさないように務めてはいるものの、如何せん、日を追うに連れて、その中身もだんだん増えてくる・・・・。サヨコの小言もそれに比例して、徐々に増えつつある・・・・( ̄∇ ̄;)まずねぇ・・・・書籍。これ、何を基準に新居に運ぶべきか、非常に悩んでいるんですの。買った書籍、頂いた書籍(落款入りのまである( ̄∇ ̄;))って、やっぱり捨てられない。BOOK OFFにも売れねぇ・・・・(-。-) ぼそっで、だ。差しあたって、どうしても必要なものは辞書。続いて、嗜好を伴わない資料的書籍。PCソフト関連の書籍・・・・ここまでは必要として、あとをどうするかなんだよな・・・・。続いて洋服。新居の収納能力がどのくらいか、まだ実質的には把握しきっていない。オマケに1人で住むわけではない。衣類の他に、タオルや洗剤等の雑貨類、そういうものも収納に場所をとられるわけだから、できるだけ数を減らそう・・・・とは思っているものの、三寒四温のこの時期に、まだセーターをしまう気にもなれないし、コートだってクリーニングに出すのは早い。実家が目と鼻の先だというのをいいことに、必要最低限に減らせないわけではないが、春夏物を中心に荷造りをしたとて、それで新居がいっぱいになったら、今度、冬物をどこに持ってくればいいのか・・・・頭痛が痛い(爆)。今日のこの寒さでは(大垣:最高気温10度未満)、何をどこから動かしたものかあたくしの脳みそが、まず冬眠中(爆)。できるものなら、ワープしたい(このバカっ!!)。そんなわけで、ダイエットではございませんが、「荷造りは明日から」という方向でひとつ、よろしく。↑出たよ・・・・ウルトラモノグサが( ̄∇ ̄;)そんな、お寝坊した本日。いつものように、新聞にだけは目を通すぜ( ̄^ ̄)ってんで、新聞を手にした瞬間、あたくし、キュピ〜ン!ときちゃいましたね(笑)。(小声で)【祝】さようなら 弱小地方紙・・・・(-。-) ぼそっ読書量は格段、他人様より少ないくせに、新聞にだけは毎日隈なく目を通していたアサミンジャー。本日付で、新しい新聞に変わりました〜(●⌒∇⌒●)<長年愛読していたヤツに戻っただけ。まずね、コラムが違うのよ♪あと、社説。加えて、基本的な記事の書き方とレイアウトが、あたくし好みなのよね。紙の質と、印刷技術においては、比べるまでもなく、何で同じ新聞なのに、ここまで出力に差が出るのさ? みたいな疑問が逆にわいてくる程だ。書籍には喧しくありませんが、新聞に対しては結構煩いです。それこそ、テレビ欄のレイアウトにしたって、こだわりっつうもんがあるんです。実は、弱小地方紙の方は、活字そのもののポイントは大きいのですが、字間を詰めすぎなので逆に読みづらく、前々から愛読していた方の新聞は、活字そのもののポイントは昔のままだけど、字間行間をきちんと取っているので、その分、記事があっちこっちしないので読みやすい。これは前にも言おうと思っていたのだけど、新聞によって、同じ記事でも見出しのレイアウトやデザイン、ポイント数も違うわけで、あたくしは、以前の弱小地方紙に、こういう点で散々苦い思いをさせられたので、いくらあと1ヶ月しかこの家にいないからといって、新聞くらい普通の感覚で読ませろよな・・・・という苦言を、何度となく胸中に納めてきたのだ。だって、ツッコミ入れ始めたら、毎日それが続くわけだし・・・・(-。-) ぼそっ記者の手腕が問われる新聞・・・・。あたくしは、書籍からではなく、ここから情報を得ている場合が多いので、間違った記述であるとか、紛らわしい書き方であるとかにホント煩いと、自分でも思う。新聞社そのものの思想があんまり濃くなくて、情報そのものがきちんとしており、且つ、出力が万全ならばどんな新聞でもいいんだけど、そういうことを言い始めると、またあの弱小地方紙の悪口になってしまうのでこのへんでやめとこう(笑)。そんなアサミンジャー・・・・↑読み応え十分!新しい生活になった時、この月々の新聞代というのもバカにならないわけだけど、「専業主婦」にとっては、折り込まれてくる「チラシ」も有効な資料なので、十分に考えた上で、取る新聞を選ぼうと思う。(弱小地方紙は、頗る値段が安いのだ・・・・トホホ)新聞って、贅沢品なんだよね・・・・今日、つくづくそう思ったよ。