| 2004年02月25日(水)
|
信じるか、信じないか |
たまぁに、自分のことすら信じられなくなるのに、自分以外の赤の他人の言うことを 信じる・・・・というのは、文字通り、大変で大事なことなんだな、とふと思う。
親でもいい、親友でもいい、自分を無償で支えてくれる人や、胸を打ち明けて話せる人に 恵まれているだけでも、幸せと思わないといけないのかもしれない・・・・そんなことを思った。
事実が曲解してしまうこともあるが、万人が『真実』として捉える事象は必ず存在する。 だから、誤解があれば多少、自分の信念に反することでも、少しは譲歩し、 きちんと整理整頓しておいた方がいいな・・・・そう思った。
あたくしは、信じていた友人に見事に裏切られた経歴がある。 それでも、その後10年以上経っても、他の人に対して最初から疑心暗鬼になることはないし 根っから『信じたい』とどこかで思っているのかもしれないな。
そして、曲解してしまった事実を整頓すると、誰かが痛みを背負うことになる。 その誰かが、自分かもしれないし、自分の大事な人かもしれない。 かつて手を差し伸べてくれた人になるかもしれないし、自分が生きるのに障壁となっている人かも・・・・ そういう可能性を全てひっくるめて・・・・あたくしは嘘はつかない。 この場所では・・・・。
人の痛みを嘲笑うようなことは出来そうにもないが、 もし、その人の『痛み』であたくしが救われるのだとしたら、 あたくしは甘んじて、それを受け止めるかもしれない。 あたくしは、自己犠牲の上で生きているわけではないし、全ての人に無償の愛を与えられるほど 偉くもない。
あたくしなりの真実と、曲解していない事実がある限り、自分らしく生きていけると思う。
|