| 2004年02月15日(日)
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祖父は緞帳職人だった |
遠い遠い、昔のお話。 それこそまだ、あたくしが生まれるう〜んと前のお話・・・・。
あたくしから見て、母方の祖父(所謂、サヨコの父)というのは、腕のいいカーテン職人だったらしい。 何で今更になって、そんな話が出てきたかというと、 この間の芝居を観にきてくださった、祖父の兄弟(サヨコの叔母)がサヨコに 市民会館のホールの緞帳(どんちょう)をしげしげと眺め、こんなことを言っていたんだそうだ。
「あんたんとこのお父さんは、それこそ腕のいいカーテン職人やったけど、 どこのホールやったかなぁ・・・・緞帳も縫ったことがある人なんやよ・・・・。」
一応解説しておこう。
【緞帳】 どんちょう 舞台の一番前に降りてくる幕のこと。二幕以上、休憩が入る芝居などでは、 緞帳を降ろすことによって、その区切りとされる。 大きな劇場・ホールになると、休憩・幕開き前などにも影響の出ない 美しい絵画のような刺繍が施されていることが多い。
祖父は、あたくしが生まれる前に亡くなった。サヨコが結婚する前に亡くなった。 だから、あたくしは祖父がどんな人なのかというのを知らない。 ただ、我が家には、彼がカーテンなどを縫っていたという痕跡を示すように、 今でも端布やカーテンの付属部品なんかがあちこちから出てくる。 遺跡を発掘するような感じで、本当に色々と出てくる。
しかし・・・・。これも血筋なのかしら・・・・? 父方の祖母も日本舞踊等で舞台に立つ経験を持っていたし(実母ね)、 母方はもっと地味かと思っていたら、何と、舞台の顔でもある緞帳を縫っていただなんて、 これはもう、運命としか思えない。 山賊側の血と、サヨコ側の血を、それぞれ半分ずつ受け継いで、 あたくしは演劇学科を専攻し、そしてそこを卒業したという事実が、凄く重みのあることのように思える。
何でも、これはサヨコもあんまり知らなかったことらしいのだが、 うちの祖父は、しばらく大阪方面へそれら縫製の修行に出ていたらしいので、 ひょっとしたら、地元のホールではなく、大阪かどこかの劇場の緞帳に携ったのかもしれない、と サヨコの叔母はそんなことを言っていたらしい。
大きなホールの緞帳となれば、板の上の声が外に洩れないくらいに分厚くて、 作りもしっかりしている。 昔のものがどうだかは知らないが、今は電動で飛ばしたり降ろしたりする。 手動の時期だって、綱場の捌きひとつで、きちんと上げ下ろしが出来ていたのだから、 祖父が作った緞帳も、ひょっとしたら今でもどこかの劇場に残っているのかもしれない。
この話を聞いて、本当にその緞帳が残っているのなら、是非見てみたいものだと思った。 あれは一種の芸術品で、刺繍ではなく縫製の方に携った・・・・ただそれだけだとしても、 劇場によって、緞帳の柄というのはそれぞれ違う上、そう滅多に取り替えない代物なので、 祖父の偉業を一度この目で確かめておきたくもありたくて・・・・。
祖父はあたくしのことを知らず、他界していった。 そしてあたくしは生れ落ち、緞帳のお世話になるような活動に携っている。 あの幕が、舞台活動において、どれだけ重要で、且つ主要なものか、それは 板の上に立ち続けたあたくしが、多分、一族の中で一番良くわかっていると思うのだ。 サヨコなんかは、「緞帳」と言われても、どうもピンと来ないみたいなのだが、 あたくしはそれこそ、「自分の祖父は、緞帳まで縫える人だったのか!?」みたいな感じで、 ちょっとした感動を覚えたりしちゃうのである。
幼い頃は、自分の家にどうしてこんなにも沢山の生地が残っているのか、全然理解できなかった。 やがて、中学くらいになって、写真でしか顔を知らない祖父の職業がカーテン職人だったことを知らされ それで、普通より地の厚い生地が今でも残っているのか・・・・と納得し、 使えるものは利用したり、サヨコが洋裁が得意なのも納得した。
しかし、一般家庭のカーテンならともかく、劇場の緞帳の縫製にまで携った人とは知らなかった。 あたくしにとっては、かなりの衝撃事実である。
この事実が浮上してきたのも、あたくしたちが新居探しを始め、凡そこの物件がいいな♪と的を絞り、 だったらまず、カーテンや絨毯が必要になってくるわね・・・・なんていう話から波及したのだ。 サヨコの叔母はそれこそ
「生きていたなら、喜んで新しいカーテンを縫ってくれたかもしれないわねぇ・・・・」
と、在りし日の祖父のことを語ってくれたんだそうだ。
今でこそ、カーテンや絨毯を扱う職業は、「インテリアデザイナー」みたいに カタカナ言葉でカッコいいイメージもあるかもしれないけれど、 分厚い生地をせっせと縫う、「職人」の姿に昭和の気質みたいなものを感じた。 緞帳ともなれば、細かい作業も伴う。何枚も布地を重ねて縫う、力仕事的作業も伴う。 そんな仕事をしていたのか・・・・祖父のことは全く知らなかったけれど、今更ながらに ちょっとカッコイイな・・・・と思ってしまった。
そして、飛ばされた緞帳が再び降りてきて、落ちきりの合図が出ると、 ふっと力が抜けて、何とも言えない気分になるのである。 芝居が持っている魔力・・・・というか、「緞帳」で客席と舞台が一緒になったり区切られたりする あの感覚が、今、祖父への思いと重なろうとしている・・・・そんな気がしている。
次に舞台に立つ時は、きっと、緞帳が落ちきったその状態をきちんとこの目で確認することだろう。
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