2003年10月30日(木)
タランティーノの才能と日本人の感覚


おすぎですっっ!!(ウソですっっ!!)
「KILL BILL」を観てきて、かなり興奮気味のゴーゴー夕雅です(爆)。
(何故「ゴーゴー」なのかはタランティーノに聞いてくれ(笑))


映画の内容に触れると、またこれ、封切から1週間と経っていないため、
あたくしに殺意を抱く人がいるといけないので、それは諦めますが、
「パルプフィクション」を面白いと感じる人は、絶対に劇場に行くべきです!!


あたくしはシネコンタイプの映画館が好きではあるが、どうしても我慢がならない点が1つだけある。
それは、キャラメルポップコーンのあの甘い匂いがダメなのである。
気持ち悪くなってきてしまうのだ。
実際に食べることに関しては、別段、いいのだけれど、
あの匂いがどうしても苦手で、パンフを手に入れるあの瞬間は息を止めているくらいだ。

それがどうだ・・・・。
本日、良い席を取ったのはいいけれど、次々に四方をキャラメルポップコーンを手にした
バカっぽい婦女子に囲まれて、あたくし、正に生き地獄・・・・。
時間が経つにつれて、こっちの感覚も麻痺して、どうでもよくなるのだけど、
基本的に、ドリンクはともかくとして、劇場でモノを食べるという習慣のないあたくしには、
まず「食べる」というその行為が、信じられない。
どう考えても、映画や芝居に集中できそうにない。

そして、まだ上映中だというのに、こんなことをのたまっているバカを目撃・・・・( ̄∇ ̄;)

↑お前の脳みそは鶏並みかっっ!?


注釈しておきます。
本日見てきた映画、「KILL BILL」はR指定がかかっているものの、
下手したら、小学生でも簡単に理解できそうなあらすじなのです。
だから、そのあらすじすらあたくしはここに書くことを拒んでいるのに、
見ているそばから、「理解不能」と言われたら、呆れて開いた口が塞がらない。
これ以上、どこをどう簡略化すればいいのか、説明がつかないくらいに単純明快なのだ。


壮大な世界観であるとか、倫理観であるとか、テーマ・・・・?とか??
そういうのは一切無視(笑)。あれは、タランティーノがやりたかったことを
全て凝縮して押し込んだ、一種のエンターテイメントなのだ。しかも、今までの映画史上になかった
無類の新分野開拓的なパイオニア・ムービーともいえる。
あぁいうのがさっぱりわからない人というのもいるにはいる。
好きとか嫌いとか、そういう分類も出来る。
言うなら、映画史上であれは最高級に贅沢なB級かもしれない。

しかし、少なくとも、あたくしとぷよ2のツボにはガッツリハマった。

あたくしは、よくここで「和テイスト」について語りを入れたりするが、
タランティーノがやりたかったこともそれに近かりしものがある。
だから、バカバカしいようなカットのためにJACの皆様や千葉真一すらも腰を上げ、
嘗て、「スワロウ・テイル」や「不夜城」などで、天下無双のセットを組んだ種田氏も
今回の最大の見せ場である「青葉屋」のセットを死ぬ気で組んだ。
もう、和洋折衷もここまで徹底すれば、文句のつけようがなく、
でもある意味で「和テイスト」を追及しているのだけど、どこか間が抜けた感じがするのだ。
どうしてだろう? と考えた。
そして、行き着いた答えは「日本テイスト」。
タランティーノという人間を通した時に、日本はこう見えるという「ジャパニーズ・テイスト」が
そこに存在していたような気がする。


「ゴーゴー夕張」という高校生が、ザ・ブレイドと対決するシーンは
テレビCMでも紹介されているから、多分、少しは見たことがあるという方もいると思うが、
あれだって、どうしてあの高校生が、主人公と対決するか?
という、大まかな趣旨がきちんと織り込まれている。
「バトルロワイヤル」で一世を風靡した、栗山千明という女の子が「ゴーゴー」を演じているわけだが、
彼女はいずれ、タランティーノの手によって、ハリウッドに本格進出するかもしれない。


凄いシーンがあったのだ。青葉屋での出来事。


ルーシー・リュー演ずる、オーレン・イシイが急に殺気立ったトーンで、簪を襖の外めがけて
投げつける。
襖の向こうに刺さった簪には、明らかにそこに誰かがいたという証拠を残すかのように、
赤い布を咬んでいるのだ。
イシイに言われ、部屋の外を窺う、ゴーゴー夕張。
彼女は左右を物凄い眼力で見渡し、更には階下にも目をやるが、怪しい人物は見当たらない。
ゴーゴー夕張も、オーレン・イシイと同じだけの殺気を孕んでそこにいる。
その時、天井に張り付いていたのが、ユマ・サーマン演じる、ザ・ブレイド。
彼女もまた、物凄い殺気なのである・・・・
が。
ここに面白いものを見た。

ゴーゴー夕張の一定したトーンは、とても安定感があり、一縷の揺らぎもない。
そして、相対するザ・ブレイドのトーンもまた同じだ。
殺気とはいえ、同じトーンが同じ枠に介在していて赴き深い。
そしてそのシーンを更に深くしているのが、襖の向こうにいる、オーレン・イシイの殺気だ。
上下左右に加え、奥行きまで同じトーンが蔓延していて、コレは凄いなぁと思ったのだ。

こういう構成を作るのに於いて、アメリカ人はとても得意なのに対し、日本人は苦手だ。
尤も、感情が張り詰めているそのシーンを作るのに、労力や時間やお金を惜しまないのが
アメリカン・スタイルと言えるのだろうけれど、
見る側をとっても、そういう感覚において、日本人は乏しすぎる。
それを見事にクリアしている栗山千明は、今後、タランティーノが手放さない、逸材だろう。


如何せん、この映画は日本人スタッフが多すぎる(笑)。
CGにしても、アニメーションにしても、そしてアクションにしても、
何であんなにチープな構成にするのか、そして、何で日本刀なんかを持たせるのか、
ワイヤーアクションでは叶わない、日本人の「殺陣」がアメリカの映画に登場するこの妙な違和感。
全て、監督であるクエンティン・タランティーノがいつも眺めている「日本」の姿に他ならない。
そして、その姿は「真実」すぎて、逆に日本人には受け入れ難いのかもしれない。
でも、その構成を「面白い」と感じて立ち上がった、日本人アーティストが沢山いたという
真逆の真実に、あたくしは心を打たれてきた。
タランティーノが「奇才」と謳われる印がそこにある気がした。
だから、上記のコメントを述べるような日本の愚かな女性に対して、あたくしは情けなくてたまらないのだ。


情けないと言えば、もう1つ。
これは、タランティーノのせいではないのだが、物凄く興ざめしたシーンがあった。
極々個人的な理由なのだけど・・・・

↑声を聞き、一発でそうとわかってしまった(苦笑)


この役者は、あたくしと大学で同じクラスの同期生なのだが、
同期の中で、出世したと言えばした方だ。
が、千葉真一や野際陽子が絡むドラマや映画に「しか」出演しているのを見たことがない。
所謂、「七光り」とかいうヤツ??
まさか、話題の映画にまでそのような形で進出しているとは思わなかったが、
この役者がタランティーノの御眼鏡に叶い、本格ハリウッド進出をすることはないと思われる(苦笑)。
所詮は、千葉真一の付録みたいなものだからだ。
真田広之は別格ね。あの人は、やっぱり「奇才」で、世界を唸らせることが出来る。
そういう身体能力と感性に満ち充ちている。


この映画を見て、ガッカリした人・・・・。
あなたは、ひょっとしたら時流に置いてけぼりにされている可能性が高いですが、
心配は要りません。あの監督は、本当に常に時代の最先端を走ろうとしている人ですから。
話の内容と、監督がやろうとしていたことさえ理解できれば、十分だと、あたくしも思っています。
所謂、「苦笑ポイント」が多い映画なのですが、
それさえ肝に銘じればかなり楽しんで帰ってこられるでしょう。あたくしもそのひとりです。


この映画・・・・深く掘り下げて見てみると、ひょっとしたら確実なA級かもしれません。
「パルプフィクション」の認知率や理解度が、上映されてからジワジワと頭角を表したように、
この映画もまた、ひょっとすると面白い爆弾を抱えているのかもしれないのです。


個人的にはスタッフロールの間中、ず〜っと流れていた、梶芽衣子さんの「恨み節」が
かなり気に入りました(爆)。
監督の感性が疑われます(爆笑)。何であんな選曲なんだろう??
やっぱり彼は「奇才」だわ(爆)。
(梶芽衣子さんを知らない人は、お家の人に聞いてみよう♪)

あさみ


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