2003年06月10日(火)
大好きな校長先生��


続けての更新となりますが、どうかお付き合いの程を・・・・。




高校の頃の校長先生もこれまたとてもいい人で、
残念ながら、あたくしらが3年に進級する際、退職されてしまったのだけど、
あの自由な校風を貫き通し、柔らかな学校を作った立役者といえば、
やっぱりあのS校長先生だろう。


いい人呼ばわりするのにも、ちゃんと理由があって(笑)
S校長が、とかく演劇部びいきだったことと、当時の演劇部員の中にS校長の親類がいた
というのが一番の理由かもしれない。

御陰で、演劇部はやりたい放題だし、彼の在任中はお金も結構出してもらった方だ。


財布の中身で人間を判断してはならないが、このS校長は、退職する際に
演劇部の備品・・・・ではないけれども、前明かり2列分と、新しいピンスポを1台購入してくれたのだ。
使用するのは100%演劇部なんだけど(笑)。
・・・・っていうか、他の人たちはどうやって操作するかも知らされないままなので、
調光盤やピンスポの操作は、文化祭等で他の人たちが使おうと思っても、
演劇部の人間が傍についていないと使えない状況になっていた。


※ムカつくヤツがいるクラスがステージで出し物をするときに、
わざと調光盤のヒューズを全部抜き取ってやったりして
演劇部に頭を下げないと、真っ暗闇になるように仕掛けたりもした(爆)
幼稚な嫌がらせだが、こうでもしないと下がっていかない溜飲というのもあるのだ(苦笑)



そんなわけで、離任式においての彼の最後の訓示の際、我ら演劇部は超・はりきって、
新しく搬入された前明かりを、前日、遅くまでかかってバトンに釣り込み、
ピンスポも体育館2階部に設置し、彼を華々しくライトアップしたのである。
この頃、もう、あたくしは役者の前線を退いて、照明を主に触っていたので、
調光盤のセットアップや、ゼラの入れ替え、全部1人でやった。
調光盤は後輩の好奇心旺盛なヤツに任せて、あたくしは離任式に、正装さえせず、
1人、Tシャツに黒いボトムス、手には軍手をはめ、ピンスポ操作にまわった。
学校行事で完全にスタッフにまわるというのも、なかなか乙なものである。


このように、輝かしく母校を去っていったS校長は、今でもOMDCの集まりの時には
必ずといっていいほど話題に上る。
現場にいたはずの教職員より先に、校長のことが話題に上るのも珍しいだろう。
要するに、我々にとっても、多分、他の教職員にとっても、
あのS校長先生は、素晴らしい存在だったのかもしれない。
彼のことを悪くいう人のことを聞いたことがないもの。


で、だ。
この後継として新しくやってきたU校長は、S校長とは全く逆の意味で、話題に上る
問題人物なのであった。
それまで、S校長が築き上げてきた数々の伝統を、U校長はいとも簡単に覆し、生徒からも教員からも
反感を買っていた、伝説の校長なのである(苦笑)。

うちの部の顧問は、この校長の言う事を聞かなかったがために、
翌年には別の学校に飛ばされたし(えげつない・・・・( ̄∇ ̄;))
若くて、血気盛んで、生徒と距離が近かりし教員も、けじめがなってないとされて
やっぱり飛ばされていった。
上記のことは、誰も口に出しては言わなかったが、生徒に人気のある先生や、
それとなく主張を持っている先生ほど、早くに飛ばされていった。
手に取るようにわかる、迫害行為である。




進学校にしては珍しく、あたくしらが高校3年の時、野球部が甲子園をかけた大会で
決勝まで残った時には、それこそプレスコード並の厳戒態勢を強いたのも、
このU校長である。
夏の甲子園の県の決勝ともなれば、民放で2〜3局のカメラが回り、県内に放送される。
あたくしが所属していたチアガールたちも、とある新聞の地方誌に取り上げられた。
それを良しとせず、チアガールたちに、とんでもない服装規定を出して、
U校長の敵はどんどん増えていく一方だ(爆)。
S校長なら、こんなこと言わないのに・・・・。
S校長なら、もっとのびのびやらせてくれるのに・・・・。
皆がそう思った。


校則通りの髪形をしてるじゃないの!?
チアガールの格好だって、最初に決めたとおりのまま、決勝まで変えてないじゃないの!?
どうして、決勝戦だからって文句を言われなくちゃならないの!?
そんなに体裁が大事なのかよ!?


口に出して、抗議もした。


大体、「高校生らしい」って、一体何なのよ!?
テレビや新聞が駆けつけるその前でだけ整える体裁に、一体どんな意味があるというのよ!?

あたくしたちは、言わずもがな、大人たちの勝手なやり方に腹を立てていた。
あれだけ野放しにしておいて、テレビや新聞や高野連が動き出すと、
縛り付けるのかよ・・・・!?
だったら生徒手帳にでも最初からそう書いておけよ。
普段の指導から徹底させろよ。
そうすれば、この場所はそういう所なんだって、あたくしたちだって理解する。
掌を返したような、徹底指導をたった2〜3日されたところで、
あたくしたちは大人不信になる他、どうなるっていうのさ!?


頭にきたのは、高校野球の場面だけではない。
毎年毎年、3年生の女子は、体育祭でマスゲームダンスをやるんだけど、
その衣装が派手で、露出度が高いので、控えるようにしなさいと、
わけのわからない文句を垂れたのも、このU校長なのである。
体育の指導をしていた先生は勿論のこと、
衣装のパターナーの指導をしていた、校長の次くらいに嫌われ者だった家庭科の先生も
これには、反論せずにいられなかったようだ。


このダンスにはもう十数年以上もの伝統があって、振り付けは勿論、衣装や持ち道具も
全部自分たちで製作するところに、意義があったのだ。
絵の得意な子がスタイル画を書いて、家庭科の先生のところに持ち込んで、
身長や体型別に、6種類ものサイズ別の型紙を起こし、
それを夏休み中に縫ってくるというのが、家庭科の課題でもあったのだ。
どのクラスも華やかで、凝っていて、自分たちの創るものに自信をもっていて、
その分、先生たちもきちんと協力してくれた。
出来上がった可愛らしいドレスは、後輩や男子生徒たちの憧れの的となり、
体育祭においては毎年恒例の花形プログラムだったのだ。


それを根底から覆すような真似をしやがったのが、U校長・・・・。
翌年、応援団の関係で、体育祭を見に行ったのだけど、
あの派手さはどこへ行ったのやら・・・・マスゲームの華やかさが半減していた。


何年か経って、母校を訪ねた時、お世話になった先生二人がまだいらしたので
その先生らと語り合っていたのだけど、
先生らが言うには・・・・

「お前らが卒業してから、えぇとこ2年くらいやな。
昔の南高を保っていられたのも・・・・今はもうダメや。
先生も生徒も、あの頃とは異質なものに変わったぞ・・・・。
俺ももう、ついていかれん。大人しいもんやわ。」


こう語ってくれたのは、うちらが現役当時、一番人気があって、信望も厚かった
国語のタカセ師である。
当時から、オッサン臭い感じはしたけれど、何故か人気はあった。
血気盛んに面白い授業を繰り広げていてくれたのだけど、今はそれがもうできないのだという。
カリキュラムも変われば、授業内容も変わる。
大学受験の形式も変わればその指導方針も変わる。
生徒の目的も、学校へ通ってくる意識も、必然的に変わっていく。

学校が面白くなくなってきた。
タカセ師は、寂しそうにそう言った。



あたくしは、瞬時にこう思った。
S校長がもう少し長く現役でいられたら、この学校もひょっとしたら
もっと違った道程を歩んでいけたのかもしれない。
職員室の雰囲気や、生徒の個性や、その間に流れていた空気ももっと柔らかく保てたかもしれない。
それこそ、今現在は、学校そのものが全く違った様子になっているので、何とも言えないけれど、
ギスギスした職員室や、教室がずらりと並ぶ学校なんて・・・・あたくしは嫌だ。


S校長先生は、色々と融通を効かせて、無闇に縛り付けたりしない人だった。
それは、生徒は勿論、先生たち個々の指導方針にも大きく影響していたようだ。
それって、凄く大事なことのような気がする。
生徒の個性を伸ばすためには、それを指導する先生の個性も重要だ。
そして、その先生の個性を「個性」ときちんと受け止めた上で、
校風として束ねていくのが校長としての役割のような気がする。
S校長の偉大さを改めて思い知らされた。

↑U校長に対する意地みたいなものだ( ̄^ ̄)

勉学と他活動の両立を良しとする校風だけは残っていったが、
あたくしたちはそれぞれに、U校長に対する反発心を抱え、
同じように反発心を抱えている、一教師たちについていったのだ。
学校の格を上げるためではない。
信念を同じくするもの同士が結束した結果が、コレだった。

あさみ


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