| 2003年06月09日(月)
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大好きな校長先生�� |
中学一年生の時の校長先生は、とても穏やかな人で、 どう考えても、あの「洗脳教育推進校」のイメージには合わない人だった。 穏やかといえども、ハキハキと喋り、生徒にも積極的に声をかけるような そんな先生だった。 そんな性格を表してか、書かれる文字もきちんとした楷書体で、書類の文面や、 こちらからお願いして書いていただいた原稿も、文字を崩さず丁寧に書いてくださった人だった。
1年後、隣の市の梅林中学というところに転任されてしまったので、 あたくしは、一年間しか彼の校長先生振りを見ることがなかったのだけど、 後に、奇跡的な再会を果たすことになる・・・・が、そのことは追って書いていくことにしよう。
うちの中学では当時、午後4時からの15分間、「スポーツタイム」というのがあって、 学年連絡会(各クラスの学級委員と副委員で構成されたサミット)で月変わりに色んな種目が提案され、 それをクラス対抗でやったり、学年対抗でやったり、個人成績で競ったり、 まぁ、形式上「競争」みたいなものはついてまわるのだけど、 とりあえず、名目上は、学校全体の体力向上というのが目的で、「競争」は付録みたいなものだった。 ドッジボールをしてみたり、大縄跳びに挑戦したり、まぁ数え切れないほどの種目があった中、 季節柄、全校生徒が同時に行なう種目というのもあった。 ・・・・マラソン大会前の持久走である( ̄∇ ̄;)
40人近くいるクラスが5クラス、3学年・・・・600人が一斉に校庭や校舎の周りを走るのだ。 コースは3コースあって、日替わりで何年生は今日はこのコースを走ることと決められ、 15分間だと・・・・そうだなぁ。大体、女子の早い子は1000mを3分半切るくらいの子が いたくらいだから(スポーツテストで、最高点必要水準は4分)本気を出していた子などは、 15分間で、5km弱くらいは走っていたかもしれない。普通の男子と同じレベルだ。
まぁ、うちの学校のことなので、勘のよろしい方などはもう察しがついていることと思いますが、 コースのあちこちに、見張りの先生が立ちます(爆)。 サボっていると、追い掛け回されます(爆笑)。 でも、自分のペースでゆっくり走る分には何も言われなかったので、 確かに、「無理強い」「強要」ではなかったかもしれないけれど、 短距離も長距離も苦手なあたくしは、ただ、「走る」というこの種目が大嫌いなのであった。 それでも、体力が頂点を極めていた、中学2年の頃くらいだと、 あたくしも、4分10秒くらいで1000mを走りきっていたので、 全国水準的には決して遅い方ではないのだけれど、 何でか、うちの学校は、運動神経のよろしい子が多くて、どのクラスに入っても このタイム候では、いいところ、ちょうど平均値くらいなのであった。 バカみたいに速い子が山のようにいたので、張り合うのは最初からやめにしていたものの、 後に、全国水準を見ると、10点満点中8点のところに自分がいることを知り、 なぁんだ、そんなに悲観的に遅いというわけでもないんだな、と安堵した覚えもある。 速すぎる、アイツらが異常なんだ・・・・と(笑)。
そんなスポーツタイムの持久走・・・・。 600人がせーのでスタートを切るわけなんだけど、3コースともスタート地点は違う。 とはいえ、3コースともが通らねばならない謂わば「合流地点」みたいなところもあった。 そこは、直線が長いとはいえ、半分は舗装されていない砂利道。 終盤になると、必ずといっていいほど、誰かが転ぶ。
あたくしも1度だけ転んだことがある。 大した傷ではなかったが、すぐに見張り(爆)が飛んできて、保健室に連れていかれた。 そこで擦り傷を消毒してもらったのだけど、ちょうど、件の校長先生が、保健室に居合わせたのである。 あたくしの顔を見るなり、にこっと笑って、彼はこう言った。
「お♪ また、地球に穴ボコあけたやつが来たな。大丈夫か?」
気さくなその言葉尻が、何とも言えない労いを感じさせ、あたくしも照れたように 「えへへ・・・」と笑った。 校長先生は知っていたのだ。 狭いこの中学で、600人もの生徒が一斉に走るとなると、どんなことが起きるのか・・・・。 だから、養護の先生と一緒に、いつも保健室に常駐していたんだ。 あたくしは擦り傷程度で済んだけれど、酷い子は、他人と縺れて転倒して、捻挫や骨折なんて場合もある。 校長先生は、600人の生徒の動向を瞬時にして把握するために、保健室にいたのだ。 あたくしは、生徒と距離の近いこの校長先生が、わりと好きだった。
この校長先生が別の学校へ赴任されて、新しい校長先生がやってきた。 卒業後も数年間、母校にいた。 この先生には距離を感じた。いかにも管理職ぽい感じがして、 おいそれと言葉や挨拶をかけられない雰囲気だった。 PTAの広報の係をしていたうちの母も言っていたのだけど、
「あの先生ね、達筆なのはいいんだけど、達筆すぎて原稿が読めないのよ。」
確かに・・・・見事すぎるほどの草書体の原稿であった( ̄∇ ̄;)
新校長が赴任してきた年の夏休み。あたくしは、県の試みの一つとしての 10泊11日の自然生活体験キャンプというのに、学校代表で参加するハメになった。 アウトドアなんて、ハッキリ言って大嫌い( ̄∇ ̄;) しかし、学校代表として選抜されるにはそれなりの資格みたいなものがあって、 最初はマサヨ(仮名:っつうか本名出してやりたい勢い)の名前が上ったのだが、 彼女が家の都合で断ってきたというので、そのお鉢がこっちに回ってきてしまったというわけ( ̄∇ ̄;) 優等生にも順序があって(爆)、打診の順番がその序列というわけ。 うちの学校からは、2年の女子を出してくれとのお達しがあったので、 それに見合う女子を打診していくと、こういう順番になるのね・・・・と悟った瞬間でもあった。
一応、考えさせてくれと言って、2〜3日、返事に猶予をもらったが、 コレ、相当な理由もなしに行かないでいると、またどんな目に遭わされるかわかったものじゃないな、 と確信したので、渋々承諾した。
今も続いているかどうかは知らないが、うちらがこのキャンプの初代メンバーということになる。 大垣市、岐阜市、各務原市、羽島市の4市の小中学校から、それぞれ数名ずつを集め、 飛騨の白樺林の中に、10日間放置するという、過酷なプレイであった(爆)。 大きな学校からは何人か選抜されてきていたけれど、 うちの中学は市内でもそんなに規模が大きくなかったので、1名のみ。 孤独なアウトドアの始まりである・・・・( ̄∇ ̄;) まぁ、コレのおかげで、別の学校にも友達が出来て、それはそれで良かったのだけど。
出発当日。 最後の集合場所、県庁周辺に集まった、岐阜市の小中学生を拾うために、バスが止まった時、 岐阜市の子達は乗らないはずのバスの中に、1人の男性が乗り込んでくるのが見えた。
「お〜い! この中に大垣M中の子はおらんかぁ? 日野さんやったか? どこにおる??」
声の主を見て、あたくしは本当に驚いた。あたくしを探しているのは、1年間だけしか お世話になっていない、前の校長先生だったのだ。 そういえば、梅林中学の子も、このキャンプに一人来ているはずだ。 その1人の子のために、校長先生自ら見送りに来たのか・・・・。凄い。 あたくしなど、見送りなんて学校側からなんか校長先生は愚か、一人も来なかったというのに・・・・。
あたくしは立ち上がり、返事をした。
「ハイ! 私が日野ですけど。」
「おぉ、キミかぁ!! 10日間、頑張って来いよ。 今そこで、大垣のM中からも一人来とるって聞いたで、慌てて飛んできたんや。」
「え!? わざわざありがとうございます!!」
「一生懸命やってこいよ。気をつけてな。」
校長先生は握手をして、あたくしの背中をぽんと叩いてくれた。 そして、自分の生徒が乗っているはずのバスが行ってしまった後も、 大きく手を振って、あたくしたちのバスも見送ってくれた。
道中、早速仲良くなった、H中学のエミちゃんが
「今の人、誰?」
と聞いてきた。
「1年の時だけお世話になった校長先生だよ。今は梅林中学にいる人なんだ。」
「えぇ〜〜〜っ!? 凄いよね、前任校の生徒の激励に来るなんて、ハンパじゃないね!」
「うん・・・・あたしもそう思う。」
「うちなんか、学校関係者なんて1人も来なかったよ?」
「うちだってそうよ。・・・・あの校長先生は、凄いんだ、特別に。」
「先生」という存在に対して、萎縮するしかなかった中学時代。 校長先生なんかと普通に会話が出来るものでもなかった。 でも、あの校長先生だけは違った。 いつも現場に飛び込んでこようとしていた。 そういう「大人」の姿を見て、あたくしは素直に反応した。 あの校長先生の激励は、現職のうちの校長先生の激励よりもうんと勝ると思った。 本気で、あたくしのことを数十人のごちゃごちゃした中から探し出し、 本気で激励してくれたのだから。 多分、当時の現職の校長は、あたくしの顔を見てもピンと来なかったくらいじゃないだろうか・・・・? 前の校長先生の激励は本当に嬉しかった。優しくて温かかった。
このキャンプは本当に苛酷で、 中学3年の一つ年上の人たちがそれぞれの班のリーダーとして頑張っていたんだけど、 いつも皆、お腹をすかせていて、まるで戦時中みたいだった(苦笑)。 班の編成は6人で、うちの班は、同じ市内の別の小中学生の集まりだった。 K中学の通称:あんちゃん(中3男子)、S中学の通称:まるちゃん(中2男子)、 M中のあたくし、A中のヨシダ(中1男子)、N小の通称:サチ(小5女子)、H小の通称:オヤマ(小6男子) このような組み合わせであった。 苛酷ではあったが、苛酷が故、奇妙な連帯感が生まれ、 その後、しばらく音信をとりつづけていたくらいだった。
その音信が途絶え始めた頃、あたくしはまたも奇妙な再会を果たすことになる。
あんちゃんとは、年は違うけれど応援団とかでシンクロしたりして、 当時の思い出をバカみたいに話したりしたのだ。 加えて物凄いことが起こった!!
1度だけ手紙を頂きましたわ・・・・┐( ̄∇ ̄)┌オホホ
このキャンプで仲良くなったA中学出身のアサダ(仮名)という男の子とも、後に、 工業高校の学校祭でバッタリ出くわしているのだけれど、向こうは気づいていないようだった。 彼とあたくしとエミちゃんは同じ市内の中学から出てきた 同級生グループで、班は違えど、結構仲が良かったのだ。 中学の頃の風貌と、高校に進学してからの風貌とでは、天と地ほどの差があったので、 仕方ないか・・・・と思ったけれど。
アサダは、何かとあたくしに優しくしてくれて、色々と世話を焼いてくれた。 環境が苛酷な故、年頃の男女は、御多分に洩れず意識をしちゃうのである(爆)。
しかし、この出会いをあたくしにくれた学校側には、まぁ感謝こそすれど、 あたくしにしっかりとした口調で「頑張ってこいよ!」とエールを送ってくれたのは、 あの校長先生だけである。 あたくしは、このキャンプから戻ってからも、どうしても自分の学校の先生に対して 疑心暗鬼なところが残ってしまい、以後、数々の小さな悪戯で、先生たちを試した。 ・・・・見つかって、2時間近く学年主任に説教されたこともある( ̄∇ ̄;)
それでもめげず、心強かったのは、あの校長先生のエールが頭にちゃんと残っていたからかもしれない。 心から「先生」と呼べる人がいたから。
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