タイムラグをなるべく埋めるべく、早速check it out!シリーズも8回目に突入します。1日1回しかここをチェックしない人は、前の日の分も良かったら見てちょうだいな♪うん♪ 8回も続けば上等だな・・・・check it out!シリーズ(笑)。このまま、あと何回かいっちゃえそうな勢いもするわ♪でもまぁ、しかし・・・・定期的に一定以上のレベルのものを輩出しようと思うと、どうしても力みみたいなものが出てきてしまうのも現実。でも、そんなあたくしを諸先輩方はこんなふうに諭してくれたのでした。「自分で駄作と決めつけるものではない。その作品を見た人が、良いか悪いかを決めるのだ」全く以って、仰る通り。いくら謙遜とはいえ、自分で駄作と言うには「傑作だ!」と言うのと同じくらいの勇気が必要なんだということを知る。だったら、謙遜せずにもっと堂々としていればいい。・・・・けれど、他人の目がどうしても気になる、所詮は小心者のあたくし(苦笑)。しかし、自分が「表現」という道を選んだからには、それを完遂することに意味があると信じ、今日も歌を何首か詠もうと思います。兼題は、前と同じように後付けで「タイトル」という形でつけます。昨日の枠でそれをやってみたら、兼題を掲げるのと同じくらいに難しいことに気付き、どのみち難しいのなら、後付けでいこうと決めました(笑)。それでは参ります♪壁越しに世間話をするなんてまるで「サザエさん」のような世界タイトルをつけるつもりはなかったが通称がやがて独り歩きするママたちが黄色い声で騒ぐのは地球の平和を守る人たち懐かしのアニメでわかる年代層あたしは再放送派なんだけど確かにね知ったかぶりをするけれど何でもあたしに聞くのはやめてチェイサーにぺリエを注文する客の嗜む酒は映画のようだ原稿に向かえば一気にあふれだす良きプロットの時の吸殻表現は人それぞれだ休めた煙草を「象さん」みたいという彼タイトルは「フィクションとの狭間」にしたいと思います。そして、いつものように、ひとこと言い訳(笑)。我が家とお隣さんは、本当に「サザエさん」みたいに、塀越しに互いに立ったまま、世間話をしたりします。作ったような感じですが、これはモロにノンフィクションのモチーフです(爆)。「平成夕雅流〜」シリーズを始めた頃に、あたくしは特にタイトルを気にせず、小倉百人一首の中から歌を選んで、現代版に短編小説としてアレンジして発表してきたのですが、いつの間にか、お仲間の間で通称がつくようになり、やがてそれがその小説のタイトルになった・・・・というのは結構よくあった話。登場人物は愚か、タイトルまでが独り歩きをするあたくしの作品たち。野放しにすると何が起きるかわからないので、注意しなければならない(苦笑)。最近、特撮番組で次々にイケメンズたちが登場するものだから、本来の良さがわからなくなってきている、今日この頃・・・・。あたくしは火薬の量とアクションの派手さ、役者の顔はそのまた次でいいと思っているので、昨今の俄か特撮人気を、不本意だが、ある意味で蔑視せざるを得なくなってきている。懐かしのアニメで年齢がばれるというのはよくある話だけれど、ここ東海地方は、本当にアニメに関しては再放送率がとても高い。なので、関東の人と話をしていて、一世代上の人とも話が合ってしまった時にサバを読んでいるんじゃないかと、よく疑われたものだ( ̄∇ ̄;)両親は、あたくしが本物の雑学王だと信じて疑わない。あたくしの雑学は所詮、付け焼刃で、あまり役には立たないものだが、わざわざ電話で「ハイジに出てくる犬の名前は何だ!?」と聞いてくる父も父だ(爆)。知ってたあたくしもあたくし・・・・( ̄∇ ̄;)昔のバイト先で、スコッチをロックで嗜みながらチェイサーにはぺリエを注文する粋なお客様がいた。この方が悪酔いをしなくていいんだよ、とゆったりした感じで仰っていて、身につけるものや小物に至るまでとても気を使ってらっしゃる、雰囲気のある方だった。ノッている時に書く原稿の質と、煙草の量は比例するらしい(笑)。休めた煙草が紫煙を燻らせながらどんどん短くなっていく様を「象さんみたいだ」と言った若い男性がいた。こういう感受性・・・・幾つになっても忘れたくない。あたくしもさぁ、この「言い訳」を載せなくなるまで、自分に磨きをかけなきゃいけないんだと思う。作品集には一切言い訳は載せていないけれど、あれはあれで、インスタントではなく、兼題やタイトルをきちんと決めたり、インスピレーションに任せて出てきた言葉をきちんと整頓した結果として、ひとつに纏まっているので、多分、言い訳などしなくても成立しているのだと思う。この枠で書くに当たっても、インスタントだとはいえ、そのくらいのレベルまで引き上げられれば満更でもないかな・・・・と1つの目標を見出した。まぁ、言い訳があるおかげで、「日記」として成立しているフシもあるのだけどそういう場合は、またちょっとスタイルそのものを考えなくてはいけないかなとも思う。とはいえ、当面は「大量生産」することによって、自分の語彙力とその量や質を把握する必要もある。普段、どんな言葉を使って生活しているのか、それが顕になる格好の場所としてこの日記は存在するのだから、そういう意義を覆してまで「文芸」は嗜むものではない。ただ、詩を書けばそれが「文芸」になるのか?歌を詠み続ければそれが「文芸」になるのか?小説の連載そのものが本当に「文芸」として成立しているのか?そもそも「文芸学」とは何なのか?ちょいと話が哲学的になって参りましたが、文字を書くことが、即ち「文芸」であるということを知らなすぎる人が多いのではなかろうかと、最近、よく思う。とあるSEの女性がこんなことを言っていた。↑けだし、格言! 押しちゃってください!全く、仰る通りだと思った。あたくしも、この日記に関しては「文芸」ジャンルに身を置くものだけれども、あくまで、打ち込んでいるのであって、下書きがあるわけではない。下書きがあるものは、御多分に漏れず、全く文体が異なる。それこそ、2日前に書いたもののように・・・・。PCの普及は、大変結構なことだとあたくしも思うが、本当の意味での文章力はやはり、「手」から生まれ出てくるものなんだと確信した。何故なら、横書きのこの日記では、自分の言いたいことが全て歌に詠み込めない現実に既に直面しているからだ。