2003年03月31日(月)
自分になるための作業/役者は化け物


とある方が、芝居(ミュージカル)のせりふの事で孤軍奮闘していらっしゃる。
ブランクがもう3年にもなるあたくしが、今更いうのもアレだけれど、
ちょっとしたコワザを、メッセージとして送りたい。
本当は、今、自分が舞台に立ちたくて仕方がないのだけれど、
その方は、以前にあたくしも立ったことのある板の上で、本番を迎えるというので、
何だか他人の事のような気がしなくて、本当に心から応援してしまいたくなってしまう。


よく、カタギの人からは、役作りに関してこのような質問を受けることが多い。

「役が自分の中に入ってくるのですか? それとも自分が役の中に入っていくのですか?」

コレは、本当に人それぞれで、あたくしも実を言えば、その時その時によって本当に違う。
充てられた役柄によって、やり方がある。
あたくしの同期の男性は、このように答えていた。

「入ってくるというよりも、いつも一緒に肩を並べて歩いているような感じ。」

全く以っての「正論」としてあたくしは受け止めなかったけれど、
コレも、ありだと思う。そういう人も少なからずともいる。


時代物をやる時によくぶつかるのが、「実在した人物を演じる」という難関。
コレはもう、資料を読み漁って、確実にコピーするつもりでぶつからねばならない。
とはいえ、そういうのはもう亡くなった人を演じる場合が多いので、
「自分はこう解釈しました。」と胸を張って言えるようになるまで、作りこまねばならない。


フィクションの場合はまた違う。
ト書きと、せりふ、そして行間の中に込められた「書き手」のメッセージを忠実に守りながら、
「自分」という一個を確実に主張するチャンスだ。


例えば。
「こんにちは。」
という1つのせりふがあるとしよう。
これをどういった感触で相手に伝えるか、ここから、このキャラクターの個性が決まる。
性格が明るいのか暗いのか、
社交的なのか、内向的なのか、
独善的なのか、協調性があるのか、
そういった抽象的なことから絞り込んでいき、最終的には

�_真猷搬欧撚真遊残錣硫身嵬椶覆里�。
��学歴はどうだったのか。
��クセ、喋り方の特徴の有無。
�げ燭鮓世錣譴襪半个Δ里�。また、怒るのか。
�ナ睇�は何cmくらいなのか。
��食べ物は何が好きか。
�Ъ駝�は何なのか。
�┸搬療�に具合の悪いところはどこか。
��人より秀でて得意なことは何か。
��ペットを飼った経歴はあるのか。

等々、履歴書以上のものが絶対に出来上がるはずだ。これ以上にもっと沢山の情報をもってして
役は作られていく。
「自分にしかできない自分」の役。


せりふを自分のものにするという作業は、難しく聞こえるけれど、案外そうでもない。
材料さえ揃っていれば、意外と簡単に口をついて出てくるものである。


例えば、何か思い悩んでいるシーンがそこにあるとしよう。
思い悩んでいる・・・・のを演じようとするのではなく、思い悩む時にどうなるかというのを
「再現」するという方法がある。
これが、結構、突破口だったりする。
悩み事があると、何だかお腹が痛いような気がする。
いつもトイレに行きたくなっているような気がする。
頭痛がするような気がする。
ないはずの虫歯が痛いような気がする。
何かこう、理由もなしに手脚の先が冷えてくるような気がする。
と、人それぞれだろうけれど、どれか1つを忠実に再現すれば、
自ずとそれは「悩んでいる」ように見えるから、不思議だ。


逆に、すごくハッピーなシーンがあるとしよう。
よく、演出に注意されるのは、「喜びが伝わってこない」「何かこうスパーンと抜けきれていない」
ここらあたりだろうか。
自分は喜んでいるつもりでも、それが喜んでいるように見えない、その理由は
ハッキリそうと見えないことには、観客は誰もそれを「喜び」であるとか
「幸せ」であるとか認識してくれないということ。
つまるところ、具体的にそこに何かがないといけないのだ。
舞台装置や持ち道具に頼るのも1つの手だが、一番頼りになるのは、自分の体1つ。
じゃあ、どうすればよいのか?
さっきと同じでいい。
すごくハッピーなことがあった時、自分はどうなっていたか。
隠しているつもりでも、唇の端っこが少し上がるかもしれない。
1トーン、声の張りが上がるかもしれない。
人あたりが急に良くなるかもしれない。
道に落ちている缶を蹴飛ばすのではなく、拾ってゴミ箱に入れるくらいの余裕が生まれるかもしれない。


人間なんて案外単純なもので、喜怒哀楽の感情を明らかに伝えるには、
声やしぐさの「置き換え」で上手に乗り切れていってしまう。





あたくしは、学生時代からよくダブルキャストの片割れ・・・・という境遇が多々あった。
これは、かなりつらい。
片方が面白いプランを持ってきたら、それにかぶらないように、
全く同じ本から別プランを捻り出さねばならないから、驚異的な仕事量になる。
だけど、同じ役だけれど「同じ」に見えたことは一度もないと、人々からいわれた。
当然だ。
そもそも演じる役者2人が、違う身体で、違う表現をし、違う感覚の持ち主だから。
笑いのタイミングも、泣きのきっかけも、同じ役なのにスイッチの入るポイントが
人によって違う。
それを上手に利用すれば、「自分だけの役」になる。


そりゃ最初は、恐ろしくヘヴィな作業だった。
あっちの子はどんな風にプランを立てているんだろう。
こっちはこんなにも煮詰まっているのに・・・・向こうの子はもう本も離したって聞いた。
あたしは、あたしは、あたしは・・・・・うわぁ〜〜〜〜!!!!!
一体どうすればいいのっっ!!??


と、頭を抱えていると、自分がもうクリアしたポイントで、向こうが煮詰まっている・・・・
なぁんていうオチが待っていたりして、本当に演じる人間それぞれに、
全く別のやり方と、得手不得手があることを知った。
そして、互いにプランを公開しても、それは何の差し支えもないことにも徐々に気付かされる。
自分がもう一方のプランを取り入れて演出に「どうだ!」と見せても、
「何か違うから、元に戻して。」とけんもほろろに言われてしまうのが関の山だからだ。
そう。
自分の体が感じ取っている「感覚」が一番正直で、それをなぞるようにして言葉を発すれば、
何事も全て、本当のことになってしまうのだ。
だって、今そこで起こっている「事実」なのだから。


私は●●役なの。と言っているうちはまだダメで、
「私なの!」と堂々と言い切れて初めて、OKサインが出される。
オーバーアクションでも、小さな手先の動きでも、これは同じ。
シュールなアングラでも、大きな小屋のステージミュージカルでも同じ。
せりふは「暗号」。
自作のジブリッシュでも、伝わる時はちゃんと伝わって、ドラマが成立する。


パワーの形にも色々とあって、それが大きな声であったり素振りであったりすることもあれば、
ただそこに居るだけなのに、とんでもない存在感で以って、自分のアピールに成功する場合もある。
小さく蹲っていても、演技・演出次第では、それが一番の「ドッカン」に為りうる。
どれが一番自分に見合った「カタチ」なのかを逸早く「自覚」するのが手っ取り早い。
普段の自分のあらゆる側面を自分で観察して、一番リラックスできる方法がそれに相当するようだ。






これは実際にあたくしがダブルキャストでやった舞台だが・・・・。
設定は潰れかけの映画館。
役柄はその映画館を何とかして売り払って、お金に換えたがっているおばちゃん。
相手役は、その映画館でフィルムを回す若い男の子。
この設定のやりとりの中で、おばちゃんのしたたかさや目的意識をハッキリ出せという課題。

片や、劇場のあちこちをくるくると回って、乱射的にせりふを吐いて、力で押すおばちゃん。
こっちは、劇場のど真ん中の席にどっかりと座り、相手の方が焦ってくるくると動くという設定。

最初、本を見たときの印象で、あたくしも乱射的元気おばちゃんが頭に浮かんで、
それを実行に移したのだが、どうも演出家にはしっくりこなかったらしく、
次々に動きが制限された。
制限され続けてくると、こっちもそうきたか・・・・と、今度は全く動かないでいてやる。
せりふは自然とゆったりしたものになり、ダメ出しは相手役の方へと移っていった。
「もっと早く!」
「もっと焦って!」
「もっと動いて!」
「もっと煽って!」
あたくしがその相手役に乗ろうとして、少しでも動こうとすると
「お前は動くな。そこにいろ。あくまでコイツに動かせる。」
の一点張り(笑)。
最初は自分で用意して持って歩いていた灰皿も、最終的には相手役の男の子があたくしの動きに合わせ
追いかけるようにして持って動く・・・・というまるで「女王様」みたいなおばちゃんになった(爆)。


本番を迎えるまで、同じ役をやるダブルキャストの子は、プランこそ知ってはいたものの
自分とは全く別の形になっていることに驚いていた。
後攻めのあたくしはそれこそ「乱射型おばちゃん」の方がいいのではないかと
最後まで迷いが捨て切れなかったものの、演出の言う事を聞いて、
「動かないおばちゃん」を貫き通すことにした。もう後には引けなかったから。
教授陣の評判は、まぁ酷評に近かったけれども(苦笑)同じ役をやった女の子はそれこそ驚愕していた。


「よく、あのせりふの中で、あんなにもどっかりと動かずにいられたね。」

「(笑)あたしも最初はそっちと同じで、くるくる動いてたのよ。」

「いやぁ、あたしには無理だわ。絶対に体が先に動いちゃうもん。」

「そういうせりふだもんね。仕方ないわ。」

「でも、あぁいうやり方もあったんだね・・・・ビックリしたわ。
ちゃんとそれっぽく見えたもんねぇ。」


「あたしは・・・・今でもアレでよかったのかどうか自信ないけどね(笑)」



芝居が跳ねてからも、心残りはあったが、まるっきり同じ本の中から
まるっきりの別人を引き出した、演出の手腕だろう、これは。
こういうことも起こり得るのだ。


この彼女は、動き回ることで自分のハキハキした部分を大いに発揮することによって
本の中に登場する1つの「おばちゃん」を上手に作り上げていた。
スタンダードで、誰もが納得するやり方で、彼女にもそれがマッチしていた。
ところが、あたくしにとってはそれがマッチしなかったので、演出家もあたくしも頭を抱えてしまった。
どうすればいいのかと考えあぐねた挙句、あのような形になった。


彼女とあたくしのウィークポイントは真逆で、あたくしがあっさりとクリアしたシーンで
彼女は随分と手こずり、あたくしは彼女がほぼランスルーしたシーンで、何度も小返しをさせられた。
それを稽古半ばで2人で話し合った時に、互いに緊張していた部分が解け、
次の日の稽古から、「相手のことを気にすることはないんだ」と悟り、
物凄くラクな気持ちになれたのを、今でもよく覚えている。


だから役者は、舞台の中で自分の一番居心地の良いところを真っ先に探して、
そこからラクに声を出せるようになれば、楽日には花マルがもらえるようになっている。
目立つからといって、どん前ドセンターにいても、役柄がそうでなければ
自然と居心地が悪くなる。
そういうものだ。





せりふが自分のものになっているか、いないか、そういう見地でものを見るのにも色々あって、
自分がその場所にいて居心地が悪いから、せりふがスッと出ない場合もある。
立ち位置にまだ多少の変更猶予があるのなら、早速申し出てみるのも1つの手かもしれない。


先述した「役と自分の関係性」であるが、
あたくしはいつも、こう答えるようにしている。

「あたくしの中には、色々なタイプの人間が何人もいて、
それは女性だったり男性だったりするんですけど・・・・その配合を徹底的に計算して、
結果、混ぜ合わせるようにして一人の『人間』を誕生させます。」


先の男性のように、「肩を並べて歩く」者もいれば、
「降りてくるんです」という憑依型の者もいるし、
あるいは「研究に研究を重ねて自分の思う理想に自分を近づけます」という
熱血投資型もいる。
自分がどのタイプか、そして、それ以外の何者であるかを知っておくのは
役者としての強みになるであろう。

そして、これは役者にとって一番怖いものなのだが・・・・

↑どの役者も口にする、お約束中のお約束(爆)

ゲネプロが終わった後は、OKサインを待つより、いつもの数倍のダメ出しで、
叱られるくらいの覚悟でいた方が、役者としての精神的にはゆとりが持ててよい(笑)。
加えて、ゲネプロ後の変更にも狼狽することなく、ガッツリ緊張してやった方が
案外、自分が思っていたよりも観客は沢山の拍手をくれる。







【追伸】た●●様へ

  あの劇場でミュージカルをやった時、ソロ曲のところはガッツリとダブルキャストでしたが、
  あの時も、全く違った形になりました(演出家は一緒)。
  衣装のドレスまで、全く違ったものになりました。
  一方の子はキャラ的に、とても可愛らしく仕上がったのですが、
  どうも、あたくしにはそれが似合わなかったらしく、可愛いキャラの彼女はフリルのドレス、
  あたくしは、とってもシンプルな白のワンピースドレスというくらいの差が出ました。
  同じシーン、同じせりふのところで、彼女には「可愛く拗ねてみて♪」と演出家が注文するのに対し、
  あたくしには「もっと高慢に!」でした( ̄∇ ̄;)
  人それぞれ、個性と本性、そして演じる時の違和感のギャップみたいなのがあるというのを
  痛烈に感じさせられた1本となったのでした(爆)。
  唯一、優越感を感じさせてくれたのは、「お前がメインで、あっちがサブだ」と演出家が言ってくれたこと。
  ダブルキャストならではの出来事です(苦笑)。


  歌った曲のスコアが、ついこの間押入れから出てきました。
  可愛い曲だったので、あたくし、浮いていなかったか、急に当時のことが不安になりました(爆笑)。

あさみ


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