あたくしは極度の数学音痴の為、中学1年の夏頃から、それまで習っていた英会話をすっぱりやめて、
数学だけの専門塾に通わせてもらっていた。
今から思うと、あの塾がなかったら、あたくしの人生は15年で終わっていたと思うくらい、
強烈な影響を与えてくれた場所でもある。
その塾は、母親が同級生のお母さんからクチコミで聞いてきたのだけど、
本当に数学しか教えていないところで、
あたくしが中学の初めてのテストで、数学にコテンパンにやられたことをきっかけに通いだした。
まず、何といっても驚いたのは、先生の姿だ。
70は猶に過ぎているおじいちゃん先生・・・・。
そして、教える教室は、居間に古い座卓を並べただけの簡素なもの。
座布団のようなものはあったような気がするが、無論、正座。
そこに会議室みたいなところに置いてある黒板が1台だけあって、
正に、歴史の教科書に登場する「寺子屋」みたいなところで、
同じ学年の子達、十数名が並んで授業を受けるという、原始的だが画期的なシステムだった。
隣の学区にあったので、隣の学区の子が半数を占めていたのだけど、
うちの中学からもあたくしを併せて3人、ホント、何の接点のない者同士がここに通ってきていた。
1人は、市内でも有名なオトコハンターでその名を轟かせ、
常に自分が一番可愛いと信じて疑わない、勘違いオンナ。<良く言えば社交家。(ハッキリいってブス)
もう1人は、中学3年間のうち2年間は同じクラスだった、いじられキャラのヘタレ剣道部員(笑)。<オトコ
このヘタレ(笑)は、あたくしがこの塾に通うようになってからやたらと話しかけてくるようになり、
「日野さぁ〜ん、今日は中島塾の日だよぉ〜。」
と、無意味に独特の言い回しで声をかけてくるので鬱陶しかった(爆)。
彼は小学校時代に、自分の大好物のシュウマイが給食に出た時、
誰かにそれを奪われて、泣いて講義したくらいにシュウマイが大好物で(爆)
「しばぴー、よかったね♪ 中島塾の日はシュウマイが出るんだよ♪」
と、呪文のように言ってやったら、しばらくそれを信じて疑わなかったくらいに
純粋で初心なヤツとも言えるんだが( ̄∇ ̄;) 如何せん、いじられキャラなので
そのまま、しばらく放置した(爆)。
勘違いオンナの方とは、それこそ小学校から同じだったのだけど、
波長という波長が合わず、あたくしは同じクラスになってもなるべく距離を置くようにしていた。
コイツが絡むと、悩まなくてもいい悩み事が確実に増えるからである。
奇しくも同じ塾に通うことになってしまったわけだが、特別に仲が良くなったというわけではない。
同じ中学だから、テスト前の集中講座で、同じ問題を解かされたり、
テストが終わって、各学校の傾向を塾に把握してもらうために問題用紙を持ち寄ったり
そういうのを塾以外のところで分担していたけれど、それは極々事務的に済ませていた(わざと)。
そんな彼女は、結句、あたくしと同じ高校に進学してきて、1年目は同じクラスにまでなり
あたくしは、クラス発表日に、物凄い重い空気を一人で醸し出していた(苦笑)。
あたくしはここで隣の中学に通うユミちゃんという女の子に出会った。
テニス部で、いつも真っ黒に日焼けしていて、笑顔の良く似合う可愛らしい女の子だった。
真面目を絵に描いたような子で、校則通りの制服をいつもきちんと着用している。
頭も良く、とっても純粋で素直な子だったけれど、時にお茶目な部分もあり、
加えて、ちょっとハスキーボイスなのがイカしていた。
彼女が照れ笑いする時、ちょっとブリっ子っぽく見えたりもしたんだけど、
それが作られたものではなく、育ちの良さと天然からきているのだと知った時、
あたくしは彼女のことが本当に好きになった。
あたくしも切ない片思いをしている時、ユミちゃんも同じように片思いをしていたので、
あたくしにとっては、うってつけの恋の相談相手だった。
何せ、学校が違うので、相手の男の子のことを互いによく知らないというのもあって、
彼の話をする時は、同じ学校の子に打ち明けるのよりもかなりラクだったし、
その後、色んな話をするにあたっては、同じ学校の子にするよりも数倍ドキドキして楽しかった。
初めて、彼の写真を手に入れた時。
同じ委員会に決まった時。
たまたま今日、声をかけられたんだ・・・・
思い切って声をかけてみたんだ・・・・
他愛のないことを、週2回の塾に通う度に報告しあった。
そのうち、交換日記じゃないけれど、何か特別なことがあった時には
塾がない日でも、そのことを手紙に書いておいて、
「後でゆっくり読んでね♪」
と、互いに交換し合ったりもしていた。
そんなある日。
あたくしは学校で行われた定期考査の答案用紙に書いてある彼女の名前を見た。
本名は伏せておこう。
「大原ゆみ子」(これは仮名)と、堂々と書いてあったのだ。
「ユミちゃん、ユミちゃんの本名って平仮名なの?」
「うぅん・・・・違うよ。本名の文字が嫌いで、ずっとこうしてるの。」
「先生、何も言わないの?」
「平気だよ。先生の中には気付いてない人もいるくらいだもん♪」
「本名、どんな字なの?」
彼女は、配られたプリントの端っこに、小さく「夕美子」と書いた。
「なぁんだ、あたしの字と一緒だね♪」
「あ・・・・そっかぁ。そうだね。夕雅ちゃんもこの字だね。」
「どうしてこの字が嫌いなの?」
「ん・・・・何となく。小学校の頃から好きになれなくて。」
「あ、あたしも! 一緒、一緒(笑)同じ名前の子は結構いるのに、
何だか、字は好きになれなくてね。」
「そうだったんだぁ♪」
「でもさぁ、あたしがユミちゃんと同じことをすると、某大女優と同じなるから、
それもマズいと思って、仕方なくこれで書いてるけどね(笑)」
「あはは♪ それもそうだよね。」
「でも、すごいなぁ・・・・学校でもそういうのを通せるなんて、勇気あるね。」
「高校受験までには直せって言われてるけどね。」
「でも・・・・すごい・・・・」
「でも、夕雅ちゃんと同じ字なんだよね・・・・
それを嫌いって言い切っちゃうのって、失礼だったよね。・・・・ごめん。」
「そんなことないよ。実際、あたしもこの字には結構泣かされてきたし(笑)
気持ちはわかるもん。」
「いい字だよ」「素敵な字だよ」と言ってしまうのは、自画自賛にも繋がるので
それはさすがに言わなかったけれど、ユミちゃんもきっと名前を巡って
あたくしと同じ思いをしながら生きてきたのかなぁと思うと、ますます近い存在のような気がしてきた。
テストの答案用紙にも、あたくしに渡してくれる手紙にも、ずっと彼女は「大原ゆみ子」と
平仮名で自分を名乗っていたけれど、
そういうことを続けていくうちに、ある日突然、彼女は本当の名前を書くようになった。
あたくしは途中で中島塾をやめてしまって、受験に向けて5教科全部の授業を見てくれる
進学塾に移ったのだけど、ユミちゃんとの文通はしばらく続いた。
その手紙の差出人にはきちんと「大原夕美子」と堂々と書いてあった。
何となく、嬉しい感じがした。
彼女が本当に「自分」を全て見せてくれているような気もしたし、
彼女自身が「自分」になっていく姿を見たのが嬉しかったような気もした。
ユミちゃんは、あたくしよりも2ランク上の、学区内トップクラスの進学校へ合格した。
そのことは、本人から手紙でも知らされたし、新聞の合格発表欄でも確認済みだった。
ある日。
街でバッタリユミちゃんに会った。
冬場だったので日焼けはしていなかったけれど、愛くるしい瞳と笑顔は変わらぬままだった。
すごく懐かしくて、少しだけお喋りをしたが、互いに連れがいたので
早々に別れてしまった。
成人式の会場でも彼女に出会った。
引越しをしたの。彼女はそう言っていた。
地元では有名な女子大に進学し、そのネームヴァリューからお嬢様振りを遺憾なく発揮していたけれど
全然嫌味じゃないのが不思議だった。
彼女の存在自体が、多分、確立された「1個」だったからだろう。
中学生当時。
答案の名前のところに、自分の主張をハッキリと表していたユミちゃん。
あたくしには彼女のような、ハッキリとした主張がなかった。
正直、その奔放さがうらやましいと思った。
今、HNや芸名・筆名で徹底的にWEB上では本名を隠し通しているあたくし。
いつになったら、ユミちゃんのような潔さが身につくのだろう・・・・。
もう、あたくしはいい大人なのに。
日野さん・・・・あさみちゃん・・・・こっちの方にもう慣れてしまっているけどね。