【♯27 背中】 うしろ姿を見ただけでわかった 悲しい背中をしてる またちょっとだけいい女になってることがわかった 悲しい背中は美しいもの・・・・ しなやかで女らしさを魅きたてる/やわらかさをかもしだすその背中 次にあんたに惚れる男をまた泣かすことができるね だけどあんたはやさしい 泣かせまいと努力する 背中のやわらかい曲線と引きかえに そして悲しい背中を作る いつになったらあんたのその美しい背中をわかる男が現れるのか 表情(かお)を巧みに操るあんたは いつだって私にはじれったさしかくれない そんな女なんだから探せば出てくるものですねぇ・・・・。謎の作品(爆)。筆跡と前後の作品から見て、明らかにこれも15の時の作品であることが判明。普段、筆圧の強かったはずのあたくしだが、このノートに記されている作品は、どれも筆圧が弱く、特に、精神的に大打撃を受けているだろう頃の作品は、その弱々しさも最たるもので、だけど、この作品は、前後の作品と比べて文字も大きくて筆圧も普通レベルだった。だからこそなんだけど、ちょっと気になった。全然普通の字で、のびのびと・・・・前後の作品とはまるで別人のような筆跡。後に、そうだな・・・・大学生くらいになった時の字とすごく似ている。このノートには、高校時代くらいに書いたものと思われる作品もいくつかあって、それは、明らかに15歳の作品とは作風も筆跡も違う。現実と空想の世界をはっきりと分けて認識しているのも分かるし、その時、自分自身に何が起きていたのかすらハッキリと思い出せる。その一連の流れを、あたくしは単なる成長の証と思っている。が・・・・。自分で書いておいて言うのもアレだが、この「背中」という作品は明らかに何かがおかしいのだ。自分以外の誰かを描写しているみたいなのだけど、その「誰か」は、どう考えても「あたくし」・・・・自分自身以外に考えられないのだ。噛み砕いて云うと・・・・トリップして自分を描写している感じがするのである。あたくしを救ってくれたリエはこの当時、別に男を誑かしては泣かせるようなことを繰り返す少女ではなかったし、あたくし自身が当時、肯定的に捉えていた「女」といえば、リエくらいしか思いつかない。でも、この作品はどう見たって、リエの「背中」を描写したものではない。じゃあ、一体・・・・具体的にあたくしは誰を見て、こんなふうな描写をしたのだろう?思い当たるフシがないわけではない。あたくしの中に登場したタイミングとリンクしている「女」が一人だけいる。「真冬」だ。オーアエは、彼らをイマジナリーコンパニオンと呼んで、あたくしの幼少時代の空想の遊び相手だと言っていたことがあるが、もし、本当にそれが現実だとしても、15歳のあたくしがバカみたいにトリップしていたなんて、俄かには信じ難い。しかし、描写から辿ると、これは確かに「真冬」そのものっぽくて、(本名)ちゃんは、それを憧憬の眼差しで見ているような感じがする。じゃあ、逆にこの中に登場する女は「朝美」じゃないのか・・・・?という疑問も同時に浮上してくるわけだけど、それは違うと思う。「朝美」は確実な女だ。そして、あたくしの中に現れるのもこの作品を境にするならば、猶に5年の月日が経たなければ彼女は出てこない。彼女は、あたくしが「女性」としての昇華を覚えて、そして、それを立てなければ生きていけないそんな人だから、「男を泣かす」であるとか、「努力する」であるとか、そういうことは一切しない。「真冬」は違う。実力至上主義の中で「女」として生き残っていくために数々のコワザを使うし、時に、男を言い負かす。腕力がダメなら多少のリスクを背負ってでも、究極の戦略を立てるし、勝てそうにない勝負は、最初から高みの見物を決め込むずるさも持っている。彼女は・・・・負けないのだ。最初から負けないように計算するのだ。仮に。あたくしの意識下以外のところで、「真冬」が敗戦を喫していたとしたら、どうなのだろう・・・・?そして、この詩が、それを謳いあげているものなのだとしたら・・・・。「真冬」の始まりが、「敗戦」なのだとしたら、全て辻褄が合う。自分の痛みを、イマジナリーコンパニオンに任せようとして、それすらも適わなかった現実がもしこの詩なのだとしたら、欠落していた本当の記憶として全ての繋がりが出来上がる。今、背筋が凍るほどに怖い。自分の書いた作品の、本当の意味もわからずに今まで過ごしてきたのだけれど、空想遊びの証拠がこんな所に残っているとは、正直、意外というか、とにかく、恐ろしくて恐ろしくて仕方がない。本来、1つであるべきものが、正に分離しようとしている瞬間を見ているようなものだから。本来、(本名)ちゃんは、自分に自信がない。誉められても謙遜してかわすし、もっと上の領域があると信じて疑わない。たとえ、自分の今あるところが最高領域だとしても、それが最高領域だということを知らないし、知ろうとしない。常に隣の芝生が青く見えて、誰かのことを羨ましがっている。自分を美醜で分別する時は、常に醜い方だと認識し、美しい人を見ては、指を咥えている。与えられたことを率なくこなすことに重きを置き、殊「創造力」に関しては疎すぎるくらいだ。そのバランスをずっと、ある形で保っていてくれたのが「一平」。人間としての自信を持たせてくれたのも、何かを創り出すことに執念じみた情熱を与えてくれたのも、彼である。そこに「女」である必要はなく、要するに美醜を伴うセックス・アピールであるとか、恋であるとか・・・・そういうものを全て排他しても生きられるように、均衡を保てるようにしてくれたのが彼だ。あたくしが成長するに伴い、そういうものだけでは生きていけないことを教えてくれたのはきっと、「真冬」なのかもしれない。あたくしは、他人は誉めるが、自己を誉めるようなことをしてこなかった。特に、思春期は。「真冬」が現れても、自分に新しい恋人ができても、基本が、(本名)ちゃんである限り、やっぱり自信が持てず、そういう部分は全部彼らのバランス能力に委ねきっていたのだ。今でも思う。「真冬」は美しいし、全ての部分で長けている。要するに、あたくしの理想。上手に男性とつきあいつつも、常に自分の在るべき場所や、率直な意見を忘れない。理想を追い求めていれば、必ずそこに辿りつけると思って、馬車馬のように頑張ってもきた。だけど、真実が明らかにされた。「真冬」のそもそもの発端は、敗北であったこと。そして、何よりあたくし本人がそれを認めていたということ。彼女を別人と認識して、綺麗になったけれど悲しい背中だとか、また誰かとつきあうようになっても、きっと同じ間違いを起こすに違いないとか、そういう予感めいたものまで記述している。理想であった彼女を「じれったい」とも思っていたようだし、もっと冷たくなれと云わんばかりに「やさしい」とも書いている。考えてみれば、今、あたくしがオーアエに忠告されていることとかなり酷似している。「もっと悪くなれ。」「いい子ちゃん過ぎるんだよ。」「そうやって、黙ってると、スカーレット・オハラみたいなんだよな。」「あなたは考えすぎだ。」「どうしてそんなふうに思う? 才能はあるんだぜ?」同じことを、15の時に、あたくしは自分の中にいる他の誰かに対して、言っていたのだ。笑ってやってくれ・・・・ハッキリ言って、この作品を凝視するまでそんなこと、ポックリと忘れていた( ̄∇ ̄;)(爆)この自分探し作業を繰り返せば、もっと沢山のことが芋蔓式に溢れ出てくるだろう。あたくしは、その現実に果たして耐えられるのだろうか。来週の火曜日にはオーアエに会えるので、ちょっと話してみようかなと思う。バカにされるのを承知で(笑)( ̄∇ ̄;)しかし、本当にこの当時の作品には謎が多い。っていうか、自分で封印たる封印を重ね続けてきたから「謎」に見えるだけなのかもしれないけどそれにしたって、今あるあたくしと、当時のあたくしを重ね合わせてみると、明らかに、当時の方がヤバい。今は自発的に通院しているけれど、当時はそれすら分からなくて放置してたんだもんな。親にもいい顔して、学校でもいい顔して・・・・。体力あったから疲れなかったのかもしれないけど、よくそんな暮らしが何年も続けられたもんだと今更ながらに感心してしまう(笑)。ちなみに、今書いている小説のプロットは、内容こそドロドロっぽいけれど、とても健康的だと思う。(例の不倫のヤツね。)昨夜も、グワッときたものだから、体力の続く限り、ノートに書き続けた。PCの前だとダメな時もあるのだ。PCは清書用。手書きの文章には、すごく情念みたいなものがこもって、使う言葉も違えば、筆圧や筆の進む速度も端的に残る。打てば即活字になるワープロ等は確かに便利で、使い勝手もいいけれど、書いたその時の気持ちやら、感覚を残そうと思ったら、やっぱり手書きのものでないと、後から「自分」像すら追えなくなってしまうのだ。特に。あたくしのように、自分で書いたものなどに、記憶や責任が伴わない恐ろしい書き手なんかは、何にせよ、最初に下書きめいたものを残すべきなのだなと、気付かされたのである( ̄∇ ̄;)↑心を動かせたようだったすごく嬉しかった。ひとつの命を喜ぶことが、もうひとつの命を喜ぶことにもなり、そして、絡まっていた糸をほぐす作用にもなるなんて、これほど嬉しいことはない。昔ばかりにとらわれず、色紙作りも頑張ろうと思う♪(前進♪前進♪)