某コムロ氏と山田ケイコちゃんの結婚披露宴生中継を、寸分もらさず母・サヨコとずっと見てしまった。最も面白かったのは、席次である。見捨てたはずのTRF・・・・。彼らの表記が大文字に変わってから、プロデュースは確か一旦、「m.c.a.t」が手がけて、それ以来、新しいシングルが出たのを覚えていない(爆)。で、同じテーブルには、安室奈美恵・・・・。彼女も、コムロから見放された・・・・というかファミリーからは脱却している。オマケに、離婚したはずのSAMの隣の席なんて、あまりに不憫すぎて、涙が出てきてしまう(笑)。お約束の、新郎新婦に一番近い席っぽいテーブルには吉本興業の大御所(爆)。コムロ氏はそういえば、今は所属は吉本なのよね。大御所さんたち曰く・・・・「いやぁ、お会いするのは今日が初めてなんで。」って、笑おうにも笑えない、芸人の発言(爆)。端から端まで、次から次へと人間関係に亀裂を施しそうなこの席次にあたくしは腹が捩れる思いがした(今も爆笑しそうなのをこらえている)。よせばいいのに、高輪プリンスの飛天の間なんか借りきって、あんな大々的な披露宴・・・・。ケイコちゃんの方は初婚だからいいけど、コムロ氏は3回目。しかも、はらますだけはらましといて、あっさり別れてしまったあたくしと同じ名前のASAMIちゃんと別れて、まだそんなに経っていないのによくもまぁ、あれだけの著名人を集めて、披露する気になんかなれるものだな・・・・と、芸能人気質のわけのわからなさを実感した。TMNのメンバーを披露宴に呼ぶのはわかるとして、どうして、TRFや安室ちゃん、SAMが来ているのかがわからなかった。聞けば、華原朋美のところにも一応招待状が届いたらしいではないか。彼ら(新郎・新婦)がやっているパフォーマンスは、一つ一つが面白すぎる。ここまでやるのだから、「軟式globe」も呼んじゃって「アホだなぁ〜〜♪」(原曲:LOVE AGAIN)とかやらせれば、完璧だったのに(爆)あと一歩だったな、コムロ(爆爆)。さて。他人の幸せ話や不幸話は、だらだらとどれだけでも突けてしまうので、文芸ジャンルに相応しい事でも書こうかと思います。日一日と、文芸ジャンルからは人が抜けていき、だんだん少なくなってきているこの現状を、真摯に受け止めつつ、「必死」・・・・とまではいかなくとも毎日、執筆しましょう♪みたいな目標は掲げております。しかし、アレですなぁ・・・・それでも得票率が上がらないのは、ちょっと不思議でもありまして・・・・やっぱり「文芸」というのはこのご時世、あんまり必要じゃないのかしら・・・・なぁんて思ってもみたりして。(あは♪)それでも、やめないわよ〜♪日本語を使う人がゼロになるまではっ!それはそうと、今日の新聞に、こんな言葉が書いてありました。真の意味における完成とは「終結した未完成」と言っていいかもしれないなかなか痛いところを突いた、しかしある意味「真実」なのでついつい目が行ってしまった。亀井勝一郎という人が書いた「西洋の智慧」というものの一節である。確かにね・・・・推敲に推敲を重ねていたら、本当にキリがない。日常的にいうなら「締め切り」だとか「校了」だとか、迫られて妥協する点があるからこそ、「完成品」として提出することになるのだが例えば、人生が終結を迎えるまで推敲を続けても、それはそこで力尽きたことを意味するのであって、亀井氏の言う通り「完成」ではなく「終結した未完成」と言った方が、かなり正しい。となると、世の中に「完成品」と呼ばれるものは、皆無に等しいとなる。あたくしが嗜んでいる短歌なんていうジャンルでは、それこそ「完成品」を生み出すのが最も難しいとも言える。「完璧」などというものなど、そもそも存在しないことになる。でも、あたくしは、この一節を読んで、逆に少し楽になった気がする。要するに、辿りつくのは、誰の物もいつの物も「未完成」・・・・「完璧」なんてありえない。作者が死んでしまって、その人の作品を完璧と呼ぶ人が出てくるかもしれないがそれって・・・・やっぱり、作者として嬉しいことなんだろうか?あたくしはあんまり嬉しくないかもな。未完成でも、完璧じゃなくてもいいかもな。推敲の余地があったまま、反省の点があったままの作品でも、「終結した未完成」作品でも、あたくしが満足すればいいかもな。こういうのを「マスターベーション」とか言われて、蔑視されることが怖かったりして書けなくなったりすることも、たまにあるけれど、そういうのは、アマチュアだろうとプロだろうと誰にでも起こり得る事だから、最近は、あんまり気にしないことにしている。絵を描く人も、音楽をやる人も、一緒だと思う。そして、これを読んでくれた全ての人に、捧げたいのは、み〜んな、輩出しているのは「未完成品」なんだっていうこと。だから、ナーヴァスになる必要なんか全然ないってこと♪そりゃ、あたくしもたまに鬱っぽくなって、投げやりになったりするけどさ。プロとアマの線引きだって曖昧なものだなぁ・・・・とわかると逆にスッキリする。件のケイコちゃんの白無垢と振り袖はすごくオーソドックスで、ドレスは白のみだけど2着。お金のかけ方は、やっぱり芸能人っぽくDiorのオートクチュールというすごく、わかりやすい形で表れていた(笑)。ナイフを入れたケーキも2mくらい・・・・?しばらくこの地方でも、あんまり見られなかった「派手コン」だった。で、思ったのは、昔々の結婚式&披露宴の風景を彷彿とさせるなぁということ。最近、芸能人は入籍のみ、もしくはそれに会見が付随する程度の「地味コン」が多かったけれど、新しいものを常に追い求める性質のコムロ氏は、物の見事に何もかもを原点に戻した。ここら一体の地方は、もともと「派手コン」だったけれど時流をうまく掴んだ若者が、入籍のみ、報告のみの「地味コン」を選ぶようになった。結局は、芸能人の真似事・・・・と流行り廃りの問題ということ。多分、これから数年は、彼らがやったような、あぁいう形式の、ちょっと派手めの披露宴が流行るかもしれない。でも、勘弁して欲しいことがある。自分が招待客として参加する場合、披露宴は悉く苦痛になることもしばしばだ。↑マジで勘弁・・・・本当に、この2つだけはどうリアクションしていいのか、わからない。無言でテーブルを囲んで、黙々と料理を食べるしかなくなる( ̄∇ ̄;)その点、コムロ氏とケイコちゃんの披露宴は、さすが人脈が豊富というか全員が全員、何をやっても華があるので、手品だろうが何だろうが派手であればあるほど、「すっげーな・・・・」と思う。ところで、最近芸能事情に疎いあたくしなのですが、YOSHIKIがglobeに加入したまではわかるのですけど、マークパンサーは、globeに残留してるんですか??披露宴にきていたマークの存在と、YOSHIKIの式辞にちょっとしたズレがあるのを感じ、オマケに、最終的に新郎新婦が「DEPERTUERS」を歌ったことで、マークの存在って・・・というふうにしか見えなくて<あの曲にマークは要らないからやっぱりこの披露宴は、何か凄い空気が巣食っているなぁ・・・・と思ってしまった。例えば、あたくしが結婚する段になって、昔のオトコや、喧嘩別れした仕事仲間がウジャウジャいたら、あたくしが参る(爆)。新郎の側がそうであっても、やっぱり参るかも(爆爆)。コムロ並みの神経の図太さがあってこその、「派手コン」だな・・・・。自分が結婚する段になったら、芸達者な友達(だけ)を呼ぼう。あと、芸達者な友達の多い相手としよう。それ以前に、何より本人たちが芸達者だった新郎新婦を画面で見つつ、妙に納得した1日だった(苦笑)。