2002年08月21日(水)
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お宝の山が歴史を語る |
昨今のように、CDがお気軽にデジタルコピー(CD-Rに焼くとか、MDにダビングするとか)出来なかった時代、あたくしたちは、なるべく音質を保った状態でカセットテープにそれらをダビングすることに命を賭けていた。 無論。CDだって、シングルは1枚800〜1000円、アルバムともなると2500〜3500円は当たり前で、中学・高校時代に貰っていたお小遣いだけでは、おいそれと買えるものではなかった。
友達の中で「誰々のアルバムを手に入れた♪」などと聞けば、そいつからCDを借り、慎重にカセットテープにダビングしたものだ。レンタルシステムも今に比べると確立されていなくて、ビデオレンタルは乱立しても、CDのレンタルとなると、この田舎街・・・・どこにもなかった時代である。ダビングされたテープはそれこそ、伸びるほど聴くのである(笑)。
さて。 今や、カセットテープを聴く機械の方が我が家から全て消滅してしまい、山のように残った、ソフトとしてのカセットテープ・・・・。このまま放置しておいても意味がない。聴けないのだから(爆)。ゴミにしてしまうのはさすがに勿体無いので、これをどうにかMDにダビングできぬものかと、ここ数日、必死に悪戦苦闘した結果、お隣のクミちゃんがテープからMDに落とせるミニコンポを持っているというのを聞き、数日拝借させていただくことにした。
あたくしが大体小学5年生くらいから、高校を卒業するくらいまでに掻き集めたカセットテープは、その当時のヒット曲をラジオから録音したものもあったが、それ以外に、かなり面白いテープも発見された。 自分でもしばらく聞いていなかったものだから、忘れかけていたのだけど、流れてくれば全曲完璧にこなせた、うしろゆびさされ組(アルバム2枚分)、THE ALFEE(ベストアルバム)、斉藤由貴(ベストアルバム)の存在は熱い(爆)。どうして「うしろゆびさされ組」の元本アルバムが我が家に2枚分もあるのかそこのところが面白不思議なところなのだけど( ̄∇ ̄;) しかも、誰も知らないようなアルバム収録曲が暗誦できるのは、これはもう一芸である(爆爆)。
あと、面白ドコロでは、嘉門達夫のライブテープが出てきた。 「替え歌メドレー」とか、「鼻から牛乳」とか、そういうのが流行るうんと前の時代のヤツだから、流行らなかった分、コアでうんと面白いのだけど。このブツはどこから入手したかというと、当時(高校時代かな)桑田佳佑を崇拝する者として、嘉門達夫まで崇拝していた(嘉門達夫が桑田さんの崇拝者だから)、同じ演劇部のトキ(仮名)から勧められて、ダビングしてもらったのであった。当時、何度も聴いて散々笑い倒したのだけど、しばらく聴いてなかったら、やっぱり笑えるので残しておくことにした(爆)。
あたくし的に最高に面白い1本も、発見されました。 楽屋オチで申し訳ないのだけれど、大学4年の卒業公演の時に、
「皆で、この芝居の歌でも作ろうぜ♪」
という話になり、作詞・作曲・唄・録音・編集全てをメンバーがやった、通称「MOTHERテープ」。マキノノゾミという人が書いた「MOTHER」という戯曲を当時手がけていて、この作品は与謝野晶子の人生をコミカル且つリズミカルに描いたモノだったので、皆、普段の稽古場でもノリノリ♪ 同人誌のノリを普段の生活から・・・・ということで、勝手に「白旗」(「赤旗」だとまんますぎてヤヴァいから、その日の「負け犬」たち・・・NG野郎を追った)とか、思想が凝り固まリすぎて、遂には教授の批判まで始めてしまって、それが元で公演初日を迎える前に廃刊に追い込まれた「月刊右ヨリ」とか、自称アナーキストによる日刊「穴開(あなあき)新聞」いう、偏った新聞まで、身内(演技コース・演出コース)には出回った(爆)。出回ったというよりも、書いたら即、キャンパス向かいのコンビニに行って、人数分プラスαをコピーして、別の稽古場で別の戯曲で稽古している班に配ったり、勝手に稽古場にベタベタ貼ったりして遊んでいたのだけど。
「MOTHERテープ」はそれの集大成だ。
この録音が決行されたのにも、色々な経緯があって。 何と、ゲネプロの日に中講堂の幕が飛ばなくなってしまっていて、稽古が無理だと装置コースの先生からの通達を受けて、皆、緊張と不安が頂点に達してしまって・・・・つまるところ、演出家(演出コースの女の子:同級生)も含めて、役者全員が壊れてしまったのだ(爆)。
追い詰められると、本当に何でもやってしまうような連中だったので、あのテープも完成した。終いには、歌詞台本にないことまで叫びだすヤツがいて、現場では皆でゲラゲラ笑っていたのだけど、いつどこで、このテープが流出するかわからないという理由でか、それとも、叫んだ内容が本当にヤヴァかったからか、編集を担当してくれた子が上手い事「ピー」とか「ドカーン」とか被せて入れていた。そのウラで何を叫んでいるのかは、本人たちは全員知っているので、余計にその「ピー」とか「ドカーン」が可笑しいのである。
ちなみに、この録音でも見事に玉砕NGを出したヤツがいて、それは「白旗」担当のあたくしらがきちんとおさえて、次の日には稽古場に貼り出してやったのだけど ┐( ̄∇ ̄)┌オホホ
今になって聴いてみると、なかなかどうして、よく出来ている(笑)。 編集や企画は確か、通称ムロちゃん(故・室田日出男氏の息子)だった。本来なら、楽日が終わって落ち着いた頃に演出家も巻き込んで、再び盛り上がる為のネタだったのだが、全員があのようなカタチで壊れてしまったので、録音には絶好のチャンスだったのかもしれない。一番面白い、思い出テープだ(笑)。
あたくしは、自分的にはもっと完成度の高いテープを作りたくて、今でも探しているCDがある。
芝居そのものは、大正から昭和初期にかけてのいわゆる「時代モノ」なんだけど、劇中歌は、全部エレファントカシマシで(多分、演出家の好み)、かなりの冒険をしていた。着物を着た与謝野晶子やらがひょこひょこ出てくる芝居の暗転のたびにエレカシが流れるのだから、ワザとしては新しい。まだその頃、やっぱりエレカシはそんなに売れていなくて、でも、劇中歌に使われた曲はどれも何だかそそるいい曲ばかりだった。そのアルバムは自力で手に入れたのだけど、オープニングとエンディングに使われたのは、今はどこで何をしているのか、上々颱風の曲で、しかも、3枚目と6枚目のアルバムから1曲ずつ使用されているらしいということまでは、演出家から聞いて覚えている。だけど、現在、どのCDレンタル屋に行っても、上々颱風のCDは1枚もなくて・・・・3枚目だとか6枚目だとか言っているどころではないのである。曲名すら不明( ̄∇ ̄;) あったら絶対に編集し直して、この「MOTHERテープ」に、上々颱風とエレファントカシマシを足した、
「スーパーMOTHERアルバム」
を作成しようかと企んでいたのだけど、しばらく無理そう(トホホ)。誰か、どこかで上々颱風のアルバムを見かけたら、御一報ください。その時は、またクミちゃんに頼んで、コンポ貸してもらって、編集したるもんね♪
と・・・・・・・・・もっと他にもお宝は発見したのだけど、楽屋オチ的なものがやっぱり自分では一番面白いので、「MOTHER」の話ばっかになってしまったわ。 もうね、恐るべき生命力よね♪ 音楽学科に行けば、それなりの演奏家もいたろうに、無視だもん(爆)。 よく、うちの学部は日本大学からは独立した1つの大学だと云われるけれど、殊演劇学科は、他との共同戦線を張らなくても、装置さんの中に絵心のあるヤツがいるし、洋舞さんや日舞さんには音楽に長けたのもいるので、結局はうちの学科はそれなりにマルチで、適当にチラシのデザインや写真その他も決まっていったんだな(笑)。奇妙で孤独な思い出だが、面白いな・・・・と思い返していた(爆)。
さぁ・・・・。 まだ眠っているお宝を発掘してくるか。 また何か面白いモノを発見したら、ご報告しようかと思います♪
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