2002年03月24日(日)
あんまり美味しくなかったのに、今になって何故かとてもそそる「給食」

 あたくしの生まれ育ったこの街は、市立幼稚園・小学校・中学校全てが
 同じ給食センターの給食を食べる。

 学校内に「給食室」という名の部屋はあったが、あくまでそこは
 トラックで運ばれてくる給食コンテナや、牛乳、パンの一時的格納庫で、
 そこで調理をなされている様は、未だかつて一度も見たことがない。


 無論、2つしか年の離れていない弟・リョウヘイ
 同じ給食を食べて育った。


 はっきり言おう。


 当時の給食は、御世辞にも美味いものではなかった。
 今ではどうなんだろうな・・・・という話を彼としていて、
 当時、大人気だったおかずと、
 逆に大不評だった幻のメニューについて語り合っていた。


 冬場に、固まってなかなか伸びないマーガリンを、
 シチューの器の下に敷いて、そのまま忘れて、分離させてしまったヤツがいたりとか
 欠席者の分の牛乳を巡って、熾烈な争奪戦が繰り広げられたこと、
 食欲のあまりに、カレーとご飯を別々の器に山盛りにしていった男子生徒のこと、
 中学に上がると「給食委員」なるものが存在して(給食当番とは全く別物)
 残飯をゼロにすべく、日夜、命を賭けていたこと・・・・等々。
 残飯が出た翌日は、わざわざ昼の放送で
 「何年何組、残飯が多いです」と、給食委員長から直々に警告されるのである。


 高校に上がると、購買部でパンを購入したり、
 各自弁当持参になるので、給食は中学3年生で最後になるのだが、
 何で、あんなに美味しくないものが市内に配布されていたのだろう・・・・?
 今でもとても不思議・・・・。
 奇しくも、バブルの時代も昇り調子で、「飽食の時代」とも呼称された
 1980年代である。
 美味しいものにもだんだん慣れてきて、家で食べるものより
 明らかに給食のものの方が、貧しさが漂っているのである(苦笑)。
 まぁ、それぞれの家庭の生活標準というものがあるだろうし、
 それぞれの家庭の味というものがあるだろうけれど、
 とかく「食」に煩い両親を持った我が家の食生活・・・・は「グルメ」というよりも
 むやみやたらにエンゲル係数が高いように思われた。


 多分、貧しさの絶頂を経験した山賊と、
 やっぱりあんまり美味しいものを食べてこられなかったサヨコだから、
 稼いだものを「美味い物」に変えるのは、極々当然だったかもしれない。


 昨今は、給食に「栄養」と共に「味」を追求するようになったらしい。
 この市はどこまでその追及が叶うようになったのか、
 給食から離れて久しいあたくしたちには、未知の世界であるが。
 それこそ、囚人が使うような何の変哲もないお椀型と皿型の食器(アルマイトだろうか)
 そして先割れスプーン。
 トレーすらない(爆)。
 食パンを何もつけずに食わされる日もしょっちゅうだった。
 ジャムがつく日はお祭り気分だった。


 家では、絶対にジャムなんか使わないこのあたくしが
 「給食」の魔の手にかかると、ジャム・マーガリンの有無でその日の気分も
 大きく変化する。
 何でだろう。
 家に帰れば、もっとマシなものが食えるとわかっているのに、
 給食一つで、めちゃくちゃハッピーになったり、逆にブルーになったりというのが
 10年も続いたのである。(幼稚園1年・小学校6年・中学校3年)


 多分「与えられた」中で、どれだけ遊べるかというのに重きを置いていたのだろう。
 それゆえ、クラス総出で行なわれる「牛乳早飲み大会」に
 オッズなるものが登場し、デザートのみかんが動いたりしていたのかもしれない。
 (出場者には何の配当もないが、「早く飲んだ」という栄誉が与えられる)
 家に帰れば、もっと美味しい物が食べられる、おやつだって充実している。
 そんな中で、給食の質だけが物凄く劣っていた気がするのはあたくしだけだろうか?


 家では絶対に作らない、「あべかわマカロニ」
 茹でたマカロニに、きな粉をまぶした、お菓子感覚のおかずで、
 給食メニューとしての歴史も古く、同じ町で育ったサヨコも口にしている。
 確かに、あの貧相な給食の中では美味しい部類のメニューだった。
 が、しかし、作り方もそれほど難しいものでもなく、
 材料だって容易に手に入るはずなのに、家庭では1度だって食卓に上ったことはない。
 親子2代、懐かしの美味として深く記憶に刻まれたメニューにも拘わらずである。
 つまるところ・・・・・・・・・






















「給食」という括りの中では
夢のようなあのメニューも
家庭の食卓では「どうでもいい」存在・・・・

























 作ろうと思えば、今だってその味を忠実に再現することは簡単にできるだろう。
 なのに、作ろうとは思わない(爆)。
 今でもあるのかな・・・・・「あべかわマカロニ」
 そして、正に「飽食の時代」に生れ落ちた彼らは、それを美味しいと思うのだろうか。



 あまり素晴らしい味には出会わなかったが、給食から離れて早13年。
 今更ながらではあるが、ちょこっと、食べてみたい気分になるのであった。

 ああ、そうそう♪
 あれだけ大好評を博したにも拘わらず、10年間にたった1度しか登場しなかった
 幻のブツがある。

 聞くところによると、関東地方を中心に割と頻繁に給食に登場したらしいが
 わが大垣市では、就学年間でたった1度しか出なかった。
 あの味が忘れられないまま、卒業した・・・・・・。


あさみ


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