走り書きのメモ的な日記
2020年09月16日(水)

こんばんは。

昨日は、主の人生の一端に触れさせて頂いたようでした。

私が最初から諦めているものを、主は常に手に入れている重みを感じました。

こんな風に、人生の価値観に通ずる話を聞かせて頂く機会が有ると、ふと、「自分はそれに見合う人間であるだろうか。」と自問自答します。

それに恥ずべきことがないよう、心は清廉でありたいと思うのです。

さて。


私はいつもここで、主から頂く快楽を言葉で表現しても、しっくりこない居心地の悪さを感じています。


居心地の悪さを解消しようと色々考えてみて、「自分の感じ方で大丈夫だと思える自己肯定感」、これだとスッキリしそうです。


快楽は痛みと違って、思いもしない表現が出るんですね。


だから毎回、新しい自分に出会っているようなのです。


その、新しい自分に出会うことも怖いし、それを認めるのも嫌なんですけど。


主を介して、知らなかった自分に出会うのなら、受け入れることができる。


振り返れば、出逢った当初からそうでした。


でも、なんか、嘆かわしくて、毎度同じようなことを、ここエンピツ日記に綴っちゃうんですよね。

やり場のない思い。


今日なんて、「神様、許してください。」とか口走ってて、「え?神とか、どの神にお願いしてるんだ?」と思いつつも、また同じセリフが口から出ちゃってる。

それと前回は、快楽から逃れたくて逃れたくて、両膝を曲げて足で突き放そうとしている自分がいて、びっくりしたんですけど、もっとびっくりしたのは、両膝を曲げたら、快楽が増幅してしまい、収拾がつかなくなってしまって。


アホか?


こんなことってある???


で、情けなくなるっていう。



そういう間抜けな話って、聞いたことがないものですから。


スマートにもエレガントにも、一生なれないどん底感。


こんな恥ずべき貪欲な穴が恨めしく。


「快楽に付随するマイナス面は、他の人に見られたくない、し、見せたくない!」



そうそう、快楽って気持ちのいい、可愛い姿を見せるものだと思っていたら、こんなにみっともない姿を晒すことになるのかと愕然としています。


それは間違いなく、私の弱みなので、主だから弱みは握られていいよねと思ってます。


なんかやっぱり、いつものように話がまとまりませんでした。ごめんなさい。
でも、今回で、上手く表現できないもどかしさは、無くなってきました。
すっきりしてきたぞー。




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