2005年01月03日(月) |
パース旅行記(5日目) |
#am8:00 起床。 4日間お世話になったパーメリア・ヒルトンは、お部屋も広くて立地条件も良くて、居心地良かったです。 昨日、「日本人客には緑茶のサービスがある」と書いたけれど、もう1つ「ジャパニーズバスローブ」があったのが嬉しかった。 これは、浴衣とバスローブと中間の厚さで(生地がね)とっても優れもの!
#am9:00 スビアコへ。 荷物をホテルに預けて、パースシティ駅から3つ目の「スビアコ」という街に出掛ける。 ここは、USJの中を歩いているような綺麗な街でした。 まだ午前中だからか、さほど人も多くなくて(当然、日本人など、だ〜れもいない)、真っ青な空と綺麗な建物、道行く人は金髪だらけ、巨大な映画のセットの中に落とされたような感覚になった。 (☆フォトギャラリー参照) この真っ青な空を見て!噴水と言い建物の形と言い、「USJっぽい」って言うのが分かってくれるかな?
#am10:00 朝食。 スビアコにも、フリーマントルと似たようなマーケットがあり、ここで朝食。 そうそう!!パースはハエがめちゃめちゃ多いです。 テラス席で食べていると、フォークを動かすより、ハエを追っぱらう方が忙しいくらい(笑)。 日本のハエみたいに大きくはないんだけど、数は凄いです。 妹が、オーストラリア南部の「アルバニー」という都市に旅行した時は、「ハエ食べそうになった」と言ってたので、きっとオーストラリア全体的に多いのかもしれません…。
#am11:00 ウエストリーダヴェル。 パースシティ駅に戻る途中、スビアコの隣、ウエストリーダヴェル駅で下車。 電車から、おっきいラグビースタジアムが見えて、ラグビーオタクの私としては、近くまで行ってみたくなったのだ。 さすが本場!大きくて立派なスタジアムでした。 今度来た時は、ラグビーも是非観戦したいなぁ。
#pm12:30 空港へ。 妹と別れてパース国際空港へ向かう。 妹と2人きりでこんなに長い時間を過ごしたのは初めての4日間だった。 彼女は大学入学から家を出てずっと離れて暮らしていたから、同じ屋根の下で寝起きを共にして生活したなんて、本当に久し振りでなかなか面白かったです。 今回、色んな場所をガイドしてくれて、英語もいろいろと話してくれて、大助かり。 電車に乗ったりバスに乗ったり、ツアーでは体験できないパースに密着した滞在で、私にとっても良い経験だった。 なにより、異国で暮らす妹からしても、やはり身内と過ごす時間は本当にくつろげたみたいで、彼女も彼女なりに楽しんでいたようで良かった。
#pm16:00 離陸。 さよならパース。 シンガポール航空機にて、シンガポールに向けて出発。 隣&周辺一帯の席は、オーストラリア少女軍団。 ニコニコして話かけられて、「あぁ…困ったなぁ」と思いつつ、なんとか英語でついていくと、フリーマントルに住む15歳で、学校の行事でイタリアとイギリスに3週間の旅に行くとの事。 「パースのどこに行ったの?」とか「イタリア語は出来るか?」などから始まり、いろいろと質問攻め…。 私が手帳に書いていた日本語を珍しげに見て来て、「日本のパスポート見せて!」と、お祭騒ぎの少女達で、それはそれは賑やかな時間でした(疲)。 ここでも、深いこと考えてないオージー少女達は、コーラをこぼす、ナッツをばらまく…etc…日本人からすると考えられない行儀の悪さ(でも、当人達は何も考えてない)でした(笑)。
#pm21:05 シンガポール着。 再び戻ってきたシンガポール空港。 インターネットで年末年始の日本のニュース&スポーツ結果をチェック。 5日間空白だった日本のリアルタイムな事柄に触れて、なんとなくホッとしました。 最後のフライトに向けてソファで休憩してると、隣の外人の御婦人が「あなたの時計はシンガポールタイム?」と聞いてきた。 「そうですよ。あなたは、どこの時間になってるんですか?」と言ったら、「UKタイム」と言う。 イギリスのリバプールに住んでいて、ニュージーランドに住む息子を訪ねた帰りだそうな。 お互い1人だったから、それから、なんとかかんとか英語で(時々、単語を手帳に書いて伝えながら(苦笑))旅の話をしあったり、サッカーやハリーポッターの事など色々とお話して待ち時間を過ごした。 マンチェスター空港まで15時間のフライトだって(遠)。 私も日本まで終盤戦。
6日目に続く⇒
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