2003年12月30日(火) |
『永遠のマリア・カラス』 |
伝説のオペラ歌手:マリア・カラス(ファニー・アルダン)。 かつてのスターは色褪せ、過去の自分のレコードを流し、薬を飲み、訪ねて来る人もほとんどいなパリの高級住宅街でお手伝いさんと2人でひっそり暮らす毎日。 そんなある日、かつての仕事仲間のプロモーター:ラリー(ジェレミー・アイアンズ)が、企画書を持ってカラスの元へやって来る。 それは、全盛期の歌声を利用した『カルメン』の出演依頼だった。。。
都会から遅れること半年程?ず〜っと見たいと思っていて、こちらでもやっと27日から公開になった。 「もしかして、2,3人の貸切状態?かも…」という心配をよそに、30人ぐらいの観客がいてビックリしてしまった。 ここは昔からある既存映画館だけど、シネコンに対抗して、月に1作品ぐらいで、シネコンでは上映されないような作品をやっていくらしい。 楽しみ。 (ちなみに次回は、『武士 MUSA』)
待ったかいがあったというか、期待どおり、個人的には凄く良かった!
「老い」という事が1つのテーマになっていて、それを強く感じる・考える映画でしたね。
若くして才能が開花したり、世間的に認められたり、世界の檜舞台に上がったり、何かしら非凡な才能を持ち合わせた人というのは、平凡では生きられないんだろうね?きっと。
その才能は、いつか朽ち果てるというのは本人含め、誰もが分かっている事だけど、、、あまりにも凄い才能を持ってる人・その人と接してる人・そして大衆は、“伝説”になるのを恐れているというか、そんな事を考えたくない、考えられないんだろうなぁ。 これって、別にマリア・カラスだけじゃなくて、あらゆるジャンルのスーパースターに当てはまる事だけど。
昨今は、1回の大金星や大活躍だけで、世間が「スター」扱いする風潮にあるし、それゆえ、次から次へと新しいスターが生まれやすい状況だと思うけど、昔は、本当の「スター」しかいなかったように思う。 上手い例えが見つからないけど…強いて例えると、大相撲の横綱昇進とか、雑誌のモデルがバンバン「自称:女優」とか言ってる状況に似てるような…。 まぁ、そうゆう“スターの甦生乱造”みたいなものを作り上げたのも、求めたのも世間だろうし、時代によって変化していくのは当然かもしれないけど、「本物(プロ)」も少なければ、「本物の中のスター」は、もっと稀有な存在だなぁと感じる。
そんな「本物の中のスター」だったからこそ、本物じゃない自分に自分を見出そうとする葛藤、本物をあくまで本物と見せかけて作ろうとするモノに対して虚を改めて思わせる葛藤(凄いややこしい文章だけど…)ラスト付近は、ため息しか出なかったです。
『カルメン』を世に出して、絶賛される事がほぼ決定的になった時、カラスは、再び脚光を浴びる自分が怖かったんじゃないかなぁ…?とも思いました。
ファニー・アルダンは、予想を越えたビックリするくらいの熱演で、圧倒されっぱなしでした。 『カルメン』は圧巻! もっと長く見ていたかったくらい。
カラスの歌声がふんだんに使われてる劇中音楽も最高でした♪ サントラ欲しいなぁ。
1番思ったのは、、、「“才能”って、ある意味、罪だ」という事…。
♪BGM♪〜『AIDA』
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