日記×エッセイ...みち

 

 

人事考課を受けました。 - 2017年09月20日(水)

最近のACIM実践は、「なんでもかんでも聖霊さんに聞く」です。
わたしにとってこれの素晴らしいところは、おなかが痛くなったり肩が凝ったりするのを防げる(防ぎ切れてはいませんが、緊張させる機序が緩和される)ところと、それから明らかに認識できる「ちゃんと聖霊さんに聞いてもらえてる・応えてもらえてる感」です。

例えば人事考課があったのですけど。
わたしは「他人に評価される」ということに強い恐れがあって、もう考えるだけで憂鬱というか顔もお腹も緊張するという感じで、何を言いたいか予習しておかねば・・・みたいな感じになります。

で、もともと予定されていた日は夜勤明けで、夜勤中に頼んでおいたわけです。
ああ、よろしく、、、一緒にいてね、助けておくれよと。

そうしたらその日は上司が忙しくなり、ごめんねーと予定は延期になりました。緊張させていた体は楽になりました。

で、延期日を予告されて、おおお、、、それはそれでまた新たに緊張する日が・・・みたいな感じだったのですけど。
また助けてね、お話しする時は一緒にいてね、とお願いしておきました。

そうしたら、延期予定の日ではなく前倒しに「じゃあ、今日のいちばん目にやるね」と言われ。

え!と思ったものの若干想定内でもあり、かといってわたしはあまり触れたくなかったから人事考課への予習(謎の予習・・・)することもせず、緊張する時間も取らないまま、夜勤明け(この日も)のぼうっとした思考のまま受けることになりました。

聖霊さんがわかってるなーと思うのは、思考がすっきり動けるときほどわたしは自分を緊張させる・・・。

そうはいっても不安は出てきてたので、一緒にいてね!むしろ聖霊さんが代わりに話して!と頼みました。わたしは聖霊さんに体を貸して一緒にいるから、体を使って代わりにしゃべって!みたいな。

そうして受けた人事考課。

あっれー?って感じ。
すっごい楽でした。

わたしは何が怖いのかというと、ここができてない、と他人に責められることだったり、別の解釈をされたまま決めつけられること、それをうまく伝えられないこと、その辺りのことなのですけど。
今回、「ここができませんでした」と罪悪感なしにあっさり自分で言えてるし、上司の話し方も以前の人事考課と違うというか、、、上司に指導している上司がいるのだなという、そしてそれを実践として行動できるということにわたしは「うおーっ」って感銘して、なんか緊張どこではなくなりました。

前回の人事考課も、前々回に比べて上司がする耳の傾け方の変化に「すげえ!」と感じたのですが、さらにそれを感じて、ええ!?耳の傾け方がもっと上手になってる!と感じました。

これはわたしが自分で「他人への耳の傾け方」に興味をもって学んでいるほうなので思うことというか、学んでもなかなか実践は難しいのにそれをしているさまを、日常で接する人に見せてもらえることにわたしは打ち震えたのですよね。
わたしと違ってわざわざ勉強してるわけではない、すごい!と思ったのでした。
「知識として勉強するからできる」とまだまだ思いがちなんだなーというのも見えます。

指導内容もとても的確に感じるというか、、、「わたしの得意とするところをもっとやっていいんだ・・・」って、今回そう思いました。あまり踏み込んじゃいけないよな、と控えてた部分でした。自分の立場を超える、と思ったり、それから勝手にやって怒られた過去があったからです。
(勝手にやらなければ何の問題もないし怒られることにもならないのに、なんなのだろうねと客観的に思いますが)
その辺りを「踏み込んで来い」と言われたように感じました。

以前の指導はもっと「一般的」に感じていました。このくらいの年齢、経験者に伝える指導、みたいな。でも今回は、「わたしに言ってる」って感じがしました。
この違いは何なのだろう・・・?どこでそれを感じた?
(あとで上司にも聞けたら聞いてみよう)

その「わたしの得意とするところ」はわたしの苦手とするところ(はっきり苦手!と自覚しているのではなく、無意識になんとなく理由をつけて避けてしまうところ)も通過するので、本当にすごいなと思うのでした。

べたぼめ。



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