日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年06月19日(月)

今のわたしは、ぷかーっと水の上に浮かんでいるような感じです。なんかそんな感じ。

おもしろい感覚だなあと楽しんでいるところ。
もちろん(今のところ)日常の中で、これまでとても親しみのある(それでいてあまりうれしくはない)感覚を感じることもできるのだけど、このぷかーっと浮かんでいる感覚を認識できてよかったなあと思っているところ。

例えば何か言葉が自分にやってきたときに、これまでのように「それに対してどう答えるか?」「わたしはそれをどう考えるか?」ということをするのではなくて、単にそれを自分に浸透させてみる感じ。
考える前に、もう直で経験しちゃう感じ。

自分に言葉を浸透させてみたら重くなる感覚がしたり、あるいは目の前が開けたような明るい印象がしたり、そういう反応を感じて感覚したことに気づく、ということをしています。
で、いろいろ考えることなく、その感覚に一致することを言ったり自分でどう思ったかを認識したりする。

これがとても楽で。
いいものを教わった、と思っています。
ACIMの解説をされているサイトさんの文章から教わりました。

信じないのなら、どうして信じてないのかわからないなら、自分に経験させてあげればいい。
自分でいろいろと計画する必要もなくて、経験していいよと許可して迎え入れる態勢でいる。
信じてない理由がそうしてうるけてきたら、それを相手にしない。

ああ、それってなんてかっこいいんだろう!

ということで練習中です。
そして、そんなわけで経済的な心配も、やるやる詐欺を責めるわたしも一気に解決しました。
うーん、何が違うんだこれは?なんでこんなに解決しちゃうんだろう?
(考えたがり)

「なんとかなんじゃね?」
「どうなるのかわかんないけど、わからないからどうなるのか楽しみ!」
「そしてまったく心配がなーい。」

今、こんなマインドになっているのはどうして?

わからないけど、もっともっと自分に浸透させたい。知性でわかるより先に浸透させてしまおう。

あー、この「浸透させる」っていうのも傾聴のレッスンのひとつかもなあって思うのでした。なんか似てる。


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