日記×エッセイ...みち

 

 

「ひよっこ」 - 2017年05月17日(水)

見よう見よう録画しよう、と思っていたのに最初のほうは忘れ続け、奥茨城編はまだ見ていないのですが(時間ができたらそのうちオンデマンド)、今は録ひよを連日楽しんでおります。

脚本が岡田さんって時点でわたしの好きなものだということはわかるのですが、今日のひよっこはとてもよかった。
これまでの放送でも「泣いた」とかSNSで感想を見ていたけど、わたしはそこまでではなくて、いい話で好きな話だけど泣くほどではないなという感じでした。
初めて今日のお話で泣きました。

ひよっこに流れる甘やかな空気。
これにわたしはとても覚えがあります。
ずうーっと昔の子供の頃の記憶だったり、ジャックさんやこいとさんから話を聞いているときの感覚だったり(特に、わたしの母が亡くなった頃の時に受け取った感覚)、とてもそれは覚えがあるもので。
のび太のおばあちゃんも思い出す感じだなあ。

少し前のひよっこで時子が豊子に言った言葉でも感じたのですが、
「あなたは自分をそう思っているかもしれないけど、それは違うのよ」
「本当はこういう人でしょ?」
って、自分自身では見えなくなっているきれいな自分、かわいらしい自分を見えるようにしてくれる、あの感じを今日のひよっこでも感じられました。

みね子(有村架純ちゃん)が時子に、「わかっけ?」って言うところで泣けてきます。
「わかるかな?」とかの標準語にない、方言による親しみみたいな感覚。それで浸透力がさらに増すというか。
ACIMを福島弁にして読んでみたらどんなだろう?とか妙なことも思う次第です。(変な興味)

TVとかに比べて見ている人数は違うかもしれないけど、という部分にも、ああ、って思いました。
見ている人は少ないかもしれないけど同じことをしているんだよ、っていう。

わたし自身も、人数とかさ、目に見えて見える効果、そういうものに目が行きがちで、興味がないと言いながらも結局そこに目が行きやすくて、そうして自分がもうすでにしていることを見られなくなりがちだから、だからこの感情が出るのかもなあって思いました。

目に見える効果って、他者に対して証明できるんだよね。
証明。
今のわたしにとってはただ本当にそれだけだったなあ、と思っているところです。証明かあ・・・。
それだけのことなのに、執着するんだなあ。

「わたしはわたしなりに行くしかないんだな」って改めて思うことができた、今日のひよっこでした。
それから、わたしが与えたいもの、与えられたいもの、だから学びたいと思っているものも、新たにわかったって感じです。
こんな風に、自分の内面を刺激してくれたり見えやすくしてくれたりする物語が大好きです。


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