日記×エッセイ...みち

 

 

昨日の日記の振り返り。 - 2017年05月09日(火)

頭では解決してるのだけど、もやーっとした罪悪感(自分がそういうことを考えたということに関して)だったりが、昨日書いている時点ではありました。
自然になくなるのを待ってたんだけど、今日は待つ必要がないことに気づきました。

罪悪感は、過去から来ること!

ということで、今日はそれを手ばなしました。
「愛とは、恐れを手ばなすこと」を読んでいて、ちょうど書いてあったのでそのやり方で。
罪悪感等々を風船のなかに入れて空に飛ばしてしまうというもの。
さいなら〜と見送りました。イメージワークとか久しぶり〜と楽しみながら。
もし空中で風船が割れたとしても、中身は過去だから今には関係しないわーとかも思いました。




昨日の鍼灸。

昨日は、受け手としては充実感が半端なかったのでそれに夢中だったのだけど(受けたい施術が受けられたから)、ジャックさんのところで習っていない(知識として持ってらっしゃらない)施術者側としてはどんな感覚を感じられたのだろうなーと思っているところです。
(やってほしいことだけ伝えたけど、あまり説明をしていないのです)
とりあえず、あと3回くらい同じ感じで実験できないでしょうかとメールを送りました。

充実感は今日も保ったままで、ふと思い出したのはジャックさんの話していたこと。

何かケガをして、何かを楽しんでいるときにケガをしたときは治りが早い。
でも、同じようにケガをしても、それが辛いことや悲しいことと一緒にあるときはその記憶に執着してしまって治りが遅い、みたいなお話。

あー、今わたし、治りが早いモードになってるわ、と思いました。

それに、自分にちゃんとケアしようとする感じも生まれています。
うーん、わたし汗をかいてそこから冷えるのですけど、それに対処しようとしてなかったんですね。わかってるけどさーみたいな。汗かいちゃうんだもんだってー、みたいな。
でも、わかってるのだから、水はけをよくしよう、汗をかいてもずっと湿っていないようにしよう、ということで、昔買った絹の5本指靴下を履いてみました。
汗をかいても靴下が、あっさり吸収してあっさり乾く。
あっさり解決して、足から感じる感覚が超快適だし冷えない。
昔履いていたのだからわかってるのだけど、やらなかったのだよね。
昔履いた時は、外からの情報をきっかけに気になって履くようになった、という感じで、試すことが楽しくて始めたので試し終わったら別にいいやー、みたいな。
だから「わかっていてもやらない」感じだったかなと。知らなかったことを確認する、それは満足しちゃってたから。

で、今回は知識欲、体験したいから、ではなくて、心地いいから、が出発点って感じです。


果たしてこの次の日にも続く充実感はどこから来ているのか。
どこから感じられているんだろう。
受けたいように施術が受けられた、それだけのこと?本当に?と観察中。


...




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