小沢健二ライナーノーツと自分。 - 2017年04月29日(土) 相も変わらず愕然とする日々が続いております。 自分、自分よ、、、 昨日、オザケンのライナーノーツの録画を見たのですけど、、、昨日も書きましたが2度目視聴だったんですけど、、、 その影響だと思いますが、わたしは気づいてしまいました。 「わたし、生活することを楽しんでなかったわ」と。 それほど自分がそこに興味が向かないことには気づいてたのですけど、自分の興味が向く範囲で楽しんでいこう、そういうこともしてなかったということに気づいてしまいました。そして、自分が興味が向く範囲って、わたしがこれまで思っていたほどに狭くもないってことにも気づいてしまいました・・・。 いやー。なにこれ。 まさしく「別のものを共有するための代償」、その言葉がわたしに染み渡ります。 共有するものの大きさを忘れてた!って感じ。 これまでわたしにとって生活することって、「やらなきゃいけないこと」でした。 こうして言葉で書いても、これを過去のわたしが読んだとしても、そうだけど・・・?ってスルーする表現しかできていないなって思うんですけど。 はたしてこの今のわたしの「やっべー。気づいちゃった!」感はどこから来るんだろう・・・。 なんでそれに気づいちゃったかというと、小沢さんが「TVで言える範囲で、自分のしたわるいことを教えてください」って問いに返した話からかもしれません。 「きちんと生活をして、ご飯を作って、やっていく」というお話。 その辺りのお話を聞いていて、「・・・あー、多分わたしも同じ(わるい)ことをする」って思ったんですよね。同じように「おもしろがる」と思ったんですよね。 そして、小沢さんとは規模は違うけど、「自分は確かにそれをしていた」と思ったんですよね・・・。 今、小沢さんがどうか、っていうのを見たときに、くっきり見えました。 その差みたいなもの、実際に経験していることによる説得力、昔TVで見せていた姿と今TVで見せている姿によって見せてくれているもの。 わたしは小沢健二が好きですが、特別ガチなファンというわけではなく、ライブも行ったことはないし、ここ数年の活動も情報は入れていてCDも買っているのですけど、生身の自分が積極的に参加する感じはなかったので、間、流れをほとんど知りませんでした。 で。 久しぶりにTVで小沢さんを見て。 わたしには過去の小沢さんの記憶しかなくて。 その差を埋めるものは得てなくて。 だからどこか、過去の小沢さん経由で今の小沢さんを見る、みたいな感じがあって。 CDが発売された辺りに出演されていた番組は、どこかその視点で見ていたような気がします。 それが、先日のライナーノーツを見て、「今の小沢さんを見てる」って感覚に移行しました。昨日はその感覚に移行してから初めて、番組を見た、という感じです。2回目視聴だけど、初めて。 昔の映像が流れても、今の小沢さん経由で過去の小沢さんを見る、みたいな感覚、それは少し前まではそうではなかったのでした。 この差を、今、おもしろいなと思っています。 今の小沢さんの口から出る言葉、姿に、ぎゅって引かれたのだろうな。 だって、まさに今のわたしの聞きたかった言葉ばかりだったのだもの。 ...
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