ACIM Lesson71 「神の計画(救いのための計画)のみが上手くいく」 - 2017年03月20日(月) 今日のワークは71です。 ワークを読んでいて思い出したのは、またオザケンでしたよ。「流動体について」。 最近、何かが切り替わっている感じがわたしにあります。 わたしにはそれが上手く説明できないのですが、明らかに何かがこれまでと違っている感覚がしています。 物の受け取り方だったり、考え方だったり、それらは同じような感じがするんですよ。そう、それは同じような感じがするんですよ、違った感じではなくて。 だけど違う。 表面的に見えてるものは同じようなものなのだけど、土台が違う、そんな感じかなあ。何かが違うのです。 何かこれまで心からは信じてなかったことが信じられてきている、のかなあ。そういう「信じられない!」といううれしい出来事が、わたしは今年に入ってから多かったからなあ。そして、何を信じてたかもあまり自覚してなかったようにも思うし(笑) 何かが違うっていうのはわかるのに、説明ができないという。何が違うのか。どうして違うと感じる状態になったのか。その道筋が全く分からないのでした。 この感覚、これは今日の想念「神の(救いのための)計画のみが上手くいく」そのままなのかな、とも思います。 これまでわたしはずっと、自分を救うために使っていた計画は「神の計画」じゃないほうを使ってきました。だから、これまでと何が違っているのか、何を変えたのか、どのようにしてそういう状態にしたのか、それらが説明「できた」のです。 意志があったともいえるけど、それは「神の計画」の中で使っているわけじゃなくて、「自我の救いの計画」にせっかくのわたしの意志を使ってた、そんな感じだったっぽいなと振り返ります。 不平不満を抱くことを中心において計画をする「自我の救いの計画」。 昨日までのワークで、自分にどれだけ不満が発生するのか体感したので、これだけ不満が出てくるってことは、それに対してちょっと間を置くように不満を認識していないと、自動的に「自我の救いの計画」コースにご案内、って感じかもしれないなと思いました。そのほうが「たくさん不満が出る」ということに価値を見出せる、そういう自分に価値を見出せそうだし。 そしてそういうふうに学んでいる、というのもあります。 周りにそういうものがたくさん見えるし、信頼してる大人たちや好きな人が教えてくれたりするし、疑い持たないなあと。 わたしは不満を持っても基本、内側にためます。 誰かに言ってうっぷんを晴らす、とかそういうことをあまりしません。あまり晴れないとも言えますし、他の人をそのモードにさせたくない。 (そのモードにならずに聞いてもらうこともできますけど、それはその人にトレーニングが必要というか、ある部分で気を付けてもらう必要がでますし) わたしには自分の理想みたいなものがあって、そこに反することをしたくないのでそうなっているんですけど。そして同時に我慢強くもあるので、内側にためやすい(結構ためておけるから)のですけど。 そういった感じなので、意識していないと外側に出さないことが多くなってしまって、だから自分の不満を自動的なものに任せていたら認識しづらいとも言えます。 まあ、こう書いていて思ったのですけど、だから今、体に出てるんだろうなあと思いました。 こうして外に出している。 方法としてはわるくないですね。わたしの望みと合っていると思いました。 不平不満を抱くということ。 「もし誰かがこうしてくれたらよかったのに。」 「もし○○さんがこう言ってくれたら、こう行動してくれたら。」 「もしこういう状況を選んでたなら。」 「出来事がいくつか変わりさえしてくれていたら。」 「そうしたら、わたしは救われたのに」 これ、まるっきり「流動体について」の歌詞の世界じゃないか(笑) で、歌詞の主人公は、この後で「自我の救いの計画」から「神の救いの計画」に、ある地点から自分が参加する場所を変えたんだよなあ。 あー、それと。 同じように言葉としては「もしも」なんだけど、「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」という歌詞の中での問いは、上記の「もしも」の感じとは少し違っているというところもおもしろいですね。 上記の「もしも」達は閉じていく感じがするし、流動体についての歌詞の中での「もしも」は広がっていく感じがするし。 やっぱりおもしろいなー、この歌詞。 人生のどこかの地点だけを切り取って書いているんじゃないっていうことに、わたしはこの歌詞におもしろさを感じてます。 わたしになにをさせてくれるの? わたしをどこに行かせてくれるの? 何を誰に伝えさせてくれるの? ねえ、神さま。 こんな感じで神に耳を傾ける。聴く態度になる。 そうして神の手の中にいる。自分から、いることを望む。 そうしたら、「宇宙の中でよいことを決意するくらい」だよね、やれることはね。 だってさ、 Lesson71「神の(救いのための)計画のみが上手くいく」 どういうことかって説明を読むと、そうだなあって思うし。上手くいかないほうをよく知ってるし。じゃあ上手くいくわな、と思うし。 何を成したか、誰と成したか、それに対する成功、失敗という評価。そういうことではないんだよね。 自分の内側で感じている感覚がどのようなものなのか。結局のところ、それしかない。 うーん、やっぱりいい曲だなあ、と思いました。 ...
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