日記×エッセイ...みち

 

 

今日の鍼灸日記。 - 2017年03月17日(金)

行くたびに体が楽なのですけど、それプラス楽しくなっている今日この頃です(笑)

毎回セルフでプレゼンシングソマティクス、要は内側から体の感覚を感じて、感覚に気づいて、変化に気づきながら鍼を受けています。

足の指や手の指にチクチクと鍼をされ、背中側にお灸をされ、という感じで受けています。もみほぐされたりはされません。(希望すればできますが)

知識がないので、感覚を感じることしかできないのでそれを楽しんでいます。
例えば知識があったとしたら、この辺に作用してるんじゃないかな、どうかな、って探るように感覚していくということをわたしはすると想像するのですが、そういうヒントみたいなものがない状態で、ただ、今、自分の体で感じている、感覚を気づいていく、ということができるので楽しくて仕方がありません。

わたしは推理小説など子供の頃によく読んでいたので、「推測する」ということを自然にやってしまいます。初めから決めつけるようなことはしないですし、気になるなら確かめるわけですが、そうは言っても自分の考え方(好み)でおおよその形をつけてしまう感じはあります。
おおよその形すらないっていうのが、わたしにとってはとても楽しいんですよね。

体のここの感覚には気づく、こんな感覚がするけどそれってどこなのかよくわからない、お灸を置かれた場所でこの部分が熱く感じてきて、こっちが次に熱くなってきて、あれ?この部分は熱く感じなかったな、今熱い箇所ってどこだっけ?とか自分の感覚の変化に気づいていったり。
(数か所で同時に熱さを感じると、場所がよくわからなくなったりする)

今日、おお!と思ったのは、腰の収まる位置(角度)が変わったこと。
足の親指への鍼と、背中側にお灸をしただけです。
だけなのですが、あれ?!って思いました。
この位置、わたしはあまりなじみがないぞ!と。
そして、楽! なにこれ!という。

わたしはこれまで腰痛があったわけでもなかったので、腰は全く気にしていなかったのですが、え?この位置って変(感覚が)、変だけど楽だ、仙骨の平らなところは平らにベッドにくっつくんだ!みたいな。

いつもなら、次に待っているクライアントさんがいて、ちゃんとちゃんと時間で仕事している感じがされてる先生なので、症状と会計以外の会話はない感じだったのですが、今日はわたしが最後のクライアントだったので、少し質問をしたらすごく返ってきました。やっぱり興味深い話が聞けるもんだぜー。

そして、位置を直す、正しいとされている位置に動かす、みたいなやり方よりも、リラックスする、筋肉を緩める、そういうやり方のほうが、理にかなってるなあと改めて思ったのでした。

20代に整体等を受けていた時と異なるのは、ボディワークを「受けて学んでいる」ようにも感じている点です。
20代のわたしだったら、今の楽しみはできていません。

何が違うかなと考えてみると、20代のわたしは施術中の自分の体の感覚や変化を「自ら」感じようとはしていない。
筋肉の構造等にも興味を持っていない。
そして、施術を受けた直後は良くてもまた戻る、ということに意識が行っている。

今のわたしは、施術中に自分の体の感覚や変化を自ら感じようとしているし、施術者が「ここはどんな感じですか?」「今はどんな感じですか?」と聞いてきたら、そこに意識を向けられた!「今」の感覚に改めて意識を向けられた!と喜んでいる感じがあります。
(20代のわたしは、聞かれたら答えるけど答えたら終わり、言われたそのことだけで終わりで、感じようとしていない)
「施術を受けた直後は楽で、また次の日になると痛みが戻ってくる」ということは昔のように今もあるのですが、今のわたしは、「良くなって戻って良くなって戻って、、、で、総合的に良くなってる、ベースが上がってる感じがある」みたいに、全体で観察してる感じがします。この頃はこういう症状もあった、今は出てない、今はこの症状がある、前は気づいていなかった、など。
1回1回の施術で切り取って見ていないんだな、とこうして書いてみて気づきました。

ジャックさんのところで習ったこと、自分の20代のクライエントぶりを思い出すと、「ああー、そうだわねー!」と妙に腑に落ちます。
言葉をかけられ応答するときと、言葉をかけられない時間と、過去の自分がそれぞれどのような感じを受けていたか、そして施術が終わった後の自分の感じ、それらを思い出せるので、妙に腑に落ちます。

おもしろい。


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