Akira Jimbo's Diary DiaryINDEX|past|will
コシツェでのクリニック、入場制限するほどの大盛況で、アンコールを2回ももらいました。すごい盛り上がりでしたが、質問コーナーでは誰からも手が上がりませんでした。英語が自信なかったのかな。現地語トークは絶好調で、カタカナで書いたカンペを読んでいるだけなのですが、非常に驚かれます。カタカナは日本文化が生んだ実に素晴らしい表音システムだと思います。もちろん表記不能の場合も多いですが、色々と独自の記号を開発しているので、かなり現地の人に近いニュアンスで表現することが出来るのです。終わってから年配のおじさんがスロバキア語で話しかけてきました。小学生の頃はテレビもラジオもなく、5キロ離れた学校まで毎日歩いて通いました。冬場は日暮れが早く、オバケの出そうな場所があったので、怖い気持ちを抑えるためにバンドネオンを弾きながら帰ったそうです。毎日弾いていたのでそれなりに上達し、7歳の時に人前で弾いてかなりの金額のお金を手にしました。音楽で稼いだのはそれ1回きりだったそうです。職業の選択肢も限られていたのだと思います。自由化してまだ20年足らず。僕と同年代の人は30歳まで社会主義体制下で暮らしていた事になります。そう考えると不思議な気持ちになります。
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