知らんけど

2006年02月21日(火)

高校生の頃、NHKがやっていた地球大紀行という地球の成り立ちを当時の最新科学をベースに紹介する番組を観て、僕は自分という一人の人間の無意味さに愕然としたことがある。この宇宙、いやその宇宙をも司る得たいの知れぬ秩序を突きつけられて、僕はなんてちっぽけなんだと思うと勉強すること大学に進学すること全てのことが無駄に感じた。

丁度その頃、学校で保護者面談があったのだが、僕の担任は母親に「息子さん、目が死んでいます。」と言ったらしい。確かに目は死んでいただろう。彼は間違ってはいないが、ある意味それ以上のことに気がつけない浅はかな教師だったということになる。というのも、僕のその得たいの知れぬ秩序から感じた無気力感は、実は人間は大きな秩序に組み込まれた存在であり、その秩序の大きな流れの中で生かされていることへの気づきの原点であったからだ。

僕らはあたかも自分の意思で考え行動し生きていると思っているが、本質はそうではないのではないかという疑問を持つことが必要だ。僕らの身の回りに起こる全ての事象は、僕らの意思の有無に関わらず、この今の一瞬にすべてに影響しあいこの世の中を形作っている。例えば、あなたのそのくしゃみさえも今この瞬間の秩序を保つものであると言える。

科学的な証明は不可能だが、科学など信頼するに値しない。科学は結局は統計学でしかない。集められるデータは人間の認知の範囲でしかないし、限られた人間の能力の範囲でいくら証明されたといわれても何の説得力もない。自分達の体の仕組みも良くわかりもしないのだから。

話はそれたが、僕らは何か良く分からないこの秩序の中に身を任せてみることで救われるような気がする。世の中に氾濫する人が作り出す種々多様な価値観から解き放たれて、本当の意味で開放される瞬間に人間は自分の人生を生きることになるのだろう。


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