知らんけど

2003年09月23日(火) 気持ちはすさむ

たばこの話です。

もう、たばこを吸う人の権利だとか、吸わない人の権利だとか、そんな話しはやめにしませんか?

例えば、電車に乗った時にあなたの隣の人が「プッ」とオナラをしたとします。しかも、それがめちゃくちゃ臭かったとします。あなたはどう感じますか?匂いフェチならともかく、「何だよこいつ、クセーなあ。」と気分を悪くするでしょう。

たばこを吸わない人間にとって、たばこの煙や、たばこを吸った直後の人の匂い、そして、歩きタバコしている人が持っているたばこの先端への警戒心は、単に気分が悪いんです。

権利とかの話しをすれば、どんな人にもどんなことをする権利だってありますよ。人を殺す権利だってある。ただ、法律で犯罪となるから、権利を使うと捕まって罰せられますけどね。でも、純粋な権利というものは、何をする権利をも含むことになります。だから、結局、権利をそのまま使おうとすれば、その行為は自己中心以外のなにものでもないわけです。他人の権利を考えていたら、自分の権利なんて使えません。だから、権利と権利は相容れないものになって、いつもぶつかる。

物事は権利という枠組みの中では解決できないんですよ。それで解決をしようとすると、必ず敗れる側がでてくるんです。そして、権利を守るが故に、誰かの権利が無視されてしまう。たばこを吸う権利、ありますよ。でもね、もうそんな権利とかいうレベルではなくて、単に周りの人の気分を害しますよというレベルにもってこれないんですかね。

今の人達、私も含めて、権利という概念に毒されていますよ。若者が自分勝手で自己中心的になってるなんてテレビで言っていますが、彼等は権利を使っているだけなんですよ。それをあおってきたのは誰なんでしょうね。資本主義ですかね。資本主義がどうかなんて良く分かりませんが、とにかく、「俺はこれをされたら気分が悪い。だから、人にはしないでおこう。」って考えが無くなってきていると思うんですよ。

価値観が多様化したのは良い事だけど、このままだと気持ちはすさむだけですよ。頼むから、「たばこを吸う人の権利。」なんて言葉を出さないで。


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