さんかくのしそう

2003年09月20日(土) 他人の成功話は聞き飽きた

成功した人に自分の成功話をネタにして、「前向きにがんばる必要がある。」「不眠不休でやり遂げた。」「継続は力なのだ。」などと語られても、私にとっては面白くもなんともないんです。そういう人は、自分の好きなことに夢中になってるから、不眠不休で頑張れるんです。

世の中の成功したいのにできなくて困っている人たちの多くは、潜在意識では嫌々な気持ちなのに、それを抑圧して仕事や研究をしてるから成功するはずがないんですよ。まだ、我慢してるって自覚のある人はましかもしれない。抑圧している人たちは、自覚もないんです。

困った人たちの問題の本質は、「何をやったらいいかがわからない。」ということなんじゃないかと思います。もっと言えば「何がしたいかがわからない。」とも言えるんじゃないでしょうか。よく最近はフリーターと呼ばれる人が増えて、モラトリアムの時期が長くなっている。なんて話しを聞きますが、私は、世間一般に自立していると思われている人達、代表的にはサラリーマンみたいな人の中にもモラトリアム真っ盛りな人がたくさんいると思いますよ。実際に、私がそうでしたから。

何が問題かというと、「何かわからないけど、なんだか大きな体制に、自分は物事をやらされている。」という感覚がない人が多いということです。「なぜ、学校に行くのか?」「なぜ、勤勉は美徳なのか?」「なぜ、結婚した方がいいって言われるのか?」「なぜ、残業してまで働くのか?」「なぜ、車が来ていないのに赤信号で立ち止まるのか?」

確かに、多くの人間があつまる社会にルールがなければ、秩序は保てません。しかし、問題は社会秩序とは別の次元で起こっているのではないかと思うんです。ビートたけしが、「赤信号みんなでわたれば怖くない。」というギャグを残しました。日本人の気質を表現した社会学的にも面白いギャグだとある社会学の先生がおっしゃっていました。このギャグが意味するのは、社会集団の中における個人の責任感の希薄さです。「俺は、どうのこうのよく分かんねえけど、みんながしてるからいいんじゃないの?」こんな気持ちにさせるのが今の社会秩序なわけです。社会の秩序を守るためのルールは、個の責任を希薄にしているんです。

本当に、自分自身と向き合うためには、この社会的な秩序に常に懐疑を持ち続けないといけないのです。それを声高に主義主張として公言する必要はないけれど、少なくとも自分の中に、外から迫ってくる自分とは別の価値観と一線を引く自分らしさを強く持つことが大事なのです。もちろん、責任が伴います。「みんながしているから。」というのは、もはや自由を放棄した人達の言い訳でしかありません。

やりたいことをみつける、やりたいことをやるという自由は、個々の人間が自分の責任のもとで得られるものですよ。その自由のもとで、自然に前向きに頑張れるのだし、不眠不休になれるのだし、継続していくエネルギーが沸いてくるのです。社会なんてものに巻かれてしまわないで、自分をさらけだしていくこと、それが生きているってことだと思います。そうした人達がうまく助け合っていければ、それは外から押し付けられる社会秩序ではなくて、本当の意味での価値ある社会秩序になっていくんじゃないかな。多少、夢物語的な結論になってしまいましたが...


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