知らんけど

2003年02月26日(水) 試験準備から

今日も平穏無事な一日がやってきたために、試験が予定通り行われました。今日の試験は、発達心理学、心理測定法、歯科口腔外科の試験でした。まあ、にわか準備でしたから完璧からは程遠いですが、合格ラインすれすれは行ってるでしょう。行ってて欲しいです。別に追試でも構わないんですけどね。その方が長期記憶に残るかもしれないですしね。

明日は臨床心理学、聴覚検査の実技試験、そして小児聴覚障害の試験です。今の段階でなんとかなるかなって感じですから、なんとかなると思います。臨床心理学の試験対策を先ほどまでしていたのですが、フロイトの精神分析理論を読んでいたら、先日、日記で取り上げた欲望の話しを思い出しました。フロイト曰く、人間の心理は無意識、自我、超自我という階層に分かれるそうです。無意識はエゴとも呼ばれるのですが、まさにエゴイスティックな自己中心的というか、自分の本能的な欲望が渦巻く部分で、そうしたものを自我が抑制しているのだそうです。超自我は、さらに社会的な要請に自我が答えていくような段階としています。

欲望の開放とは、まさにフロイトのいう無意識の部分を引っ張り出してくることなのかなあなんて思ったりしたのです。一応、社会生活を送っているという現実を踏まえて、本能丸だしで行くわけにはいかないでしょうけれど、自分の欲望とは何なのか?という無意識の部分を、自我や超自我と呼ばれる理性・道徳(「〜するべき。」「〜しないといけない。」という考え方)を通さずに意識化することが大事なのでしょうね。

フロイトと喧嘩わかれしたユングは、この無意識の中心部分には集合的無意識という、人類に共通した普遍的なものがあって、それを個人的な無意識が取り囲んでいるといっています。もし、それが本当ならば、自分の欲望を開放することは決して自己中心的なことではなくて、他の人との共通点を見つけ出す過程でもあるのかもしれませんね。

こう考えると、いかに人間は欲望を抑えて生きているのだろうって思いませんか?特に文明社会では社会的要請が多くて、自分らしさを押さえる傾向があるのかもしれませんね。ミードという心理学者は、ニューカレドニア(?)の青年達には、文明社会の青年に見られるような自我への危機という段階はないそうですから。

ってことは、欲望を開放するとは、本来あるべき姿に戻ろうってことなのかもしれません。自分らしく生きよっと。


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