知らんけど

2003年01月20日(月) 目標を持つということ

クラスのサイトで、目標を持つ事で今しなければいけないことが分かるってことを書いたら意外な反応があって、あるクラスメイトから相談を受けてしまいました。相談を受けて、自信を持って答えられるほどのことをしていないのですが、自分がしようと思っている事、実際に試している事を話してみました。

私自身、言語聴覚士を目指し始めた動機が自分でもわからなくなってきていた時期がありました。やり始めた事だから逃げるわけにはいかないという、どちらかというと根性論的な思いもありましたが、最終的には今の迷いを払拭するだけの明確で具体的な目標を考え抜き納得した上で掲げていくことが長い目で見たときに大事なのではないかと考え、現在、その目標の明確化、具体化を計っています。

私がクラスメイトに言ったのは、「知識は教科書にあるが、目標は自分自身が持とうとする意識がなければどうにもならない。目標を持たない知識は意味が無いけど、目標を持てば知識なんてすぐに得られるもの。焦る気持ちはわかるけど、今は土台作りだよ。」という事でした。更に結構冒険的な意見もしてみました。「学校は確かに二年制だし、卒業したら国家試験があってそれに受かる事が目標だけど、でもね、だれが二年で卒業してすぐに言語聴覚士にならなければならないなんて言ってるの?」

昨晩も、父親との会話の中でふと思ったのですが、日本はステージを異常に気にします。いついつまでにこれこれができていないと、「気楽でいいわね。」なんて言われたりします。自分の人生に外部から規制されるものなんてあるのが、私には理解できませんが、逆にそのようなステージを上手にクリアしていくことで安定を感じる人もいるのでしょう。ダメだとはいいませんが、それによってどれだけの人が息苦しさを感じているのかと思うとぞっとします。

私自身がステージを無視した、一般的な見方をすると「無責任な」人生を送ってきていますので、得体の知れない「ステージ」とかそれに対する他人の目を気にして焦っている人を見るととてもかわいそうな気持ちになります。やはり自身が納得した形で物事を進めないと、自分にとって意味を成さないのです。納得のタイミングが、行為の前でも後でも構わないのですが、とにかく納得するということが大事だと思うのです。

NHK教育テレビで夜に「視点・論点」という面白い番組をやっています。様々な分野の一線で活躍する人が出てきて、自分の思ってる事をただ話すという番組です。とても好きで時間が合えば良く見ているのですが、先日、ノルディックスキー複合の荻原選手が出てこんなことを言っていました。

「好きであれば頑張れる。好きであれば一流になれる。」

最初から最後まで同じことを何度も繰り返して言っていました。とても当たり前の言葉ですが、なかなかどうして意外とこの言葉を素直に聞き入れられる人は少ないのです。というのも「好きになる」ということは決して、おいしいケーキを好きなるというのとは違う概念だからです。荻原選手が言う「好き」とは、別な言い方をすると「魅力」ということです。これから取組もうとしている事が「魅力的」であれば頑張れるし、一流になろうと思うのです。魅力=魅了する力です。

これは私の考え方ですが、どんな物にも魅力はあります。ただ、その魅力に私達が関心を示すかどうか?という点だけで、私達個人にとってのその物の魅力度合いが左右されます。もし、あなたがちょっと見方を変えればその面白くないと思っている物にも魅力を見出す事ができるということなのです。その見方を変えることという一つの作業が、目標を立てるということだと私は思います。

今、おもしろくねえなと思っていることをちょっと違った視点で見て、自分にとって魅力ある側面を引き出してくるという努力を行うことが大事なのです。おもしろくないことはありません、私達が勝手におもしろくなくしているだけでなのです。


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