家族

家族というものは何なのでしょう。すでに多くの方に語り尽くされた感もありますが、北朝鮮から帰ってきた方々の話題を見聞きするたびに、考えるのです。

私も三十路を迎え、色々な意味で「家族」ということを考えるようになりました。色々な意味の中には、生まれてから親子や兄弟関係を持ってきた家族という意味もありますし、これから私が育んでいく自分の家族という意味もあります。

これまで私の家族としてきた両親や兄弟というのは、今の私にとってはもう家族という単位では見れないようになってきました。三十路という年令が関係あるのかどうかはわかりませんが、結構昔からこういう意味での家族という概念は、私の中では希薄になっていたかもしれません。そして、その事がなんとなく輪郭をもって私の考えの中に浮かび上がってきたのが三十路というきっかけなのかもしれません。

もちろん親子ですし、兄弟ですから、家族ではないとは言っても完全否定な訳ではありません。しかし、なんとなくもう既に違う所帯なのかな?と思うのです。生活のリズム、経済的なつながりの希薄さ、精神的依存の消滅、色々とあると思います。それらが、もう俺はこの家族の一員という位置付けではないなと思わせるのです。

では私にとっての家族とは何かを考えると、それは私の家族なのです。それが誰になるのかはまだわかりませんが、私の妻であり、私の子供でありなのです。いや、妻とか結婚とか、いわゆる制度的なものに縛られた思考はあまりよくないかもしれません。そういった儀式的なものは抜きにしても、どんな人にも家族と呼べるものが必要なのです。ある人は一緒に苦労してきた職場の人間を家族のようなものと考えるかもしれないし、仲の良い友人達を家族のように考えるのかもしれません。いずれにしろ自分の家族と呼べるものがより豊かな人生を送るには必要だと感じています。

そう考えたときに、北朝鮮に拉致された方々の問題を見ていると心が痛むのです。二十何年間も拉致された自分の子供や兄弟を待っていた家族にとって、帰国された方々は自分の失った家族です。しかし、拉致された方々も北朝鮮で自分の家族をはぐくまれてきたのです。非情な構図です。家族対家族という間に挟まれた彼らを見ていて心が痛まない日はありません。家族と一言で済ます事は簡単だけれども、やはり自分にとっての家族というのは誰にでもあるはずです。

国交正常化のダシに使われているような感じになってしまった拉致被害者。国のすばやい対応を願うばかりです。日本は個々の家族の重要性を認識できないような国ではないと信じています。

過去の今日
2002年11月05日(火)

日記 / issy