さんかくのしそう

2002年10月25日(金) 目的が見えてきた

学校の帰りにクラスメイトとお茶をしました。初めて二人でお茶をする相手でしたが、話しが非常に盛り上がったのです。そして、この盛り上がりは、予期せず私の気持ちに少し変化をもたらしました。

「何だか違う。」「望んでいたのはこんなことではなかった。」ずうっと感じていた学校への違和感を言語化できずにいました。しかし、それを分かち合える友人が周りにはいませんでした。しかし、今日、私と同じ感覚を持つクラスメイトを見つけたのです。私達はお互いによりアカデミックな環境を望んでいました。教室に碁盤の目のように座らされ、教壇に先生が立ち、そして講義を行う。生徒は、ひたすらに話しを聴き、ノートを取り、そして、試験前には試験に備える。

けっしてこのような教育方式が間違っているとは言いませんが、私が望んでいるものではありませんでした。私が望んでいたものとは、与えられる学習ではなく探す学習でした。教科書に載っている知識を詰めこみ、先生の言った言葉を逐一覚える。それはそれで、一つの勉学のあり方なのでしょうけれど、そんな教育で優れた臨床家が育つのでしょうか?まさに、偏差値教育の申し子がそのままの状態で臨床家になるのです。そんな人にリハビリされるのをどう思われますか?

決して、他のクラスメイトの一人一人が悪いわけではないと思います。日本において重要視されるのは、なんとなく全体に流れる暗黙の了解的雰囲気です。私がいくら外国の大学に長くいても、あの一種独特の雰囲気の中で、同じように自分の意見を言い積極的に授業に参加するのは難しいのです。恐らくこれは一人一人の生徒や先生が、これまでに知らず知らず身につけてきた悪しき習慣の結果なのでしょう。

そこで、私達はお茶をしながら、具体的な方策を話し合ったのです。なぜ、私達はこれほどまでに学校に違和感を感じるのか?そして、授業に対してもやる気を示せないのか?を。結論は意外と簡単に出ました。私達には、明確な目的意識がなかったのです。恐らく、他のクラスメイトにも同じ事が言えると思います。目的意識がなければ学校に入ってる事自体が不思議な事と思われるかもしれません。私もそう思っていましたが、それは違うことに気がつきました。

私達は、これから目指そうとしているものについて最初から完全に知っているわけではありません。むろん、調べまくって自分がこれから学校で勉強する目的を最初からバシッと決めたと思っている方もいるでしょう。しかし、「私は○○になりたい。」という場合、そこには漠然とした目的意識しかない事があるのです。そして、本人はそれに気がついていない場合があるのです。

環境の中に飛び込んでみて初めて気がつくこともありますし、逆に最初は分かっていたつもりのものが、分からなくなることもあるのです。

具体的な話し合いから、私達がこれから何をどう勉強しなければならないかの大枠が見えてきました。クラスの雰囲気を一朝一夕で変える事は無理ですし、私達にそんな義務はありませんから、とにかく、クラスの雰囲気に飲まれずに、今日話した大枠の目標を忘れないように頑張っていこうという結論に達しました。

しっかりとした目的意識を持つ事。それにはじっくりと考える必要があるのです。そして、そのためにはやはり仲間がいるということが非常に大事なのだなと痛感した今日でした。


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