知らんけど

2002年08月10日(土) ボランティア

お昼から知り合いのお花屋さんのお手伝いをしてきました。とくに決まったお給料をいただいているわけではないので、これも「ボランティア」と呼ぶのでしょうか?私は、巷で言われるチープな「ボランティア」という、押しつけがましい概念に違和感を感じます。

私は、純粋にお花屋さんのために自分の能力を活かしてお手伝いをしたいと思っています。また、それにより何らかの報酬が得られるならば、是非、頂きたいと考えています。ただし、それが無理ならば仕方がないし、だからといって手伝いをやめるわけでもありません。その動機は、オーナーの人柄であるし、良いお店をもっと多くの人に知ってもらいたいという気持ちでもあるし、自分ができなかったことを実行しているオーナーへの羨望でもあります。

「手伝わなければいけない。」という気持ちは一切ありません。また、何のために、どんな風に役に立てるというビジョンを持って手伝いをしています。

和製英語的な「ボランティア」という概念に胡散臭い「偽善性」を感じるのは私だけでしょうか?なんだかアルバイトと同じ感覚で使われる「ボランティア」という概念に非常に違和感を感じるのは私だけでしょうか?大体、ボランティアの募集に応募して、一体それが「ボランティア=自発的に奉仕する人」なのでしょうか?

ボランティアという言葉がダメだと言っているのではなく、その言葉を使っているだけでなんとなく自分が良いことをしているのだと勘違いする人が多いことに、なんだか違和感を感じるのです。また、それが客観的に評価の対象にしたり、公共宣伝の対象になったりすることも変な話です。大体、「ちょボラ」って何ですか?こういった、道徳性を型枠にはめられて押しつけられても平気な人達が多いことに危機感を感じます。大体、Volunteerをちゃんと英和辞典で調べたことがありますか?本来、Volunteerには国に命をかける人達のことを言いました。

自発的に手伝わせて欲しいなという事柄に対してのみ、自発的に対応していくべきだと思います。ボランティア活動とは、決して学びの場ではないのです。いてもたってもいられない人が、「お願いだから手伝わせてください!」というのが本当の「ボランティア=自発的に奉仕する人」だと考えます。それはとりもなおさず、個人の道徳性(宗教性でも良い)であるし、人格であるし、教育であるわけです。そいうった根本を無視し、「ボランティア」をすることはなんだか良くて大切で良い経験になるなんて軽薄な概念を振りかざす人々を私は信用しません。

本当に思い入れの無い、心の入っていないボランティアは、校則違反した生徒が道端の掃除をさせられているようなものです。


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