このところ、祖母やその妹さんと一緒に食事に行ったり、お茶を飲んだりする時間が多くなりました。70歳を越えた白髪姉妹と共に時間を過ごしていると、不思議に楽しく時間が過ごせます。
自分が医療福祉関係を志すようになったからなのかどうかは、良く分かりません。ただ、これまでになく「人の話を最後まで良く聴かなければならない。」という事と、「老人の二人が分かる話し方をする。」という2つのことを心がけるようになりました。
まず、老人は話す速度が遅いです。それと、経験を基にしているからでしょうか、物事を断定して話します。また、説明も言葉足らずになることも多々あります。やはり、以前に比べると単語の記憶力が落ちているからかもしれません。このような老人に対してじっくり聴くという態度を取るのは、そう簡単ではありません。ちなみに私の父は、私の祖母とまるで思春期の親子のような言い争いを日常茶飯事で行っています。お互いに歳を取ってしまったのかもしれません。
また、私達の普段のしゃべりの中には意外と横文字や、現代的な言葉の定義付けが多く使われています。その言葉の微妙な違いは、会話の前提となる部分さえ変えてしまい、慣れない人は途中で会話すること自体が億劫になってしまうかもしれません。私の父が、祖母に話し掛けるときも、このようなちぐはぐな会話を良く耳にします。
しかし、何もこれは老人に限ったことではないのです。親しいと思っている友達だって、実はどこかで、「なんだか本当に分かり合った気がしない。」なんて事はありえるのです。それは、何が原因か?恐らく、お互いがお互いの言葉の背景を読み取る努力が足りない可能性があるのでしょう。前にも書きましたが、「人の心がわかる心を教養という。」という言葉、非常に実感させられます。
老人との会話。それは、私が自分の教養を肌で感じられる瞬間でもあり、そして、それを磨くトレーニングの場でもあるのです。
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