本屋で『人生の目的』というタイトルの本を手に取った。 中身はかなりスピリチャルワールドで、宗教的な内容だったが、 タイトルに惹かれて買ってしまった。
以前から『幸福とは何か?』『生きてる意味とは何か?』に関する本には目がない。分かるものなら分かりたい。ただ、それだけのことなのだ。
この人生とか幸福とかを考えるあたり、人間の『傲慢さ』をキーとして考えてみた。
いきなり言うが、俺は人間はあくまでも動物でしかないと考えている。
考える能力があり、物質を加工しモノを作ったり火を使ったりできるのは人間だけで、それが人間と動物の違いなのだ。と人間を特別なものとして捉える知恵は教えられてきた。言語学でも、人間はまったく意味のない音に意味を与えられる唯一の優れた動物だと言われている。(人間以外の動物の場合は音そのものが意味になる。人間の場合は音に意味を与えないと意味がわからない。)
この考え方は人間の傲慢だと思うのだ。
鳥は労せず空を飛ぶ。これは鳥に遺伝的に備えられた能力だ。 人間も飛行機という道具を作り空を飛ぶようになった。しかし、空を飛ぶという能力を人間自身が持つことは絶対にない。あくまでもそのような道具を作る能力を持っているだけなのだ。
能力があるかないか?
最初から備わっているかいないかの問題で、人間が他の動物より優秀で特別な能力を持っているとは思わない。だから、道具をもたない人間はライオンや熊に対してはただただ無能だ。
人間はあくまでも動物であるということを前提にすると、面白い疑問が出てくる。犬にとって『犬生の目的』はなんだ?猫にとって『猫生の目的』はなんだ?鳥にとって『鳥生の目的』はなんだ?人間にとって『人生の目的』はなんだ?
俺は『人生に目的なんてない。』と断言する。
現代の人間の悲劇は『生きる』ことそのものに重点を置けないということだ。 自分にとって意味があるかどうかを考えると「全てのことは意味がある」という答えと「全てのことは意味がない」のどちらかにしか答えは出ない。
以外と犬や猫など、生きることそのものに飢餓感を感じない環境で育っている動物にもそんな悩みがあるのかも知れない。
現代人は生きる意味を失って精神を害している。なんてテレビで言っているのを聞くと虫唾がはしる。生きる意味を追い求めてるから精神を害しているんじゃないか?そんなわけのわからない意味があたかもあるようにいうから精神を害するのではないか?
俺はただ生きる。自分の心が導くままに。嫌なら辞めるし、嫌でも辞めたくないなら辞めないし、好きなならやるし、好きでもできないならやらない。そこに大きな目的なんてあるものか。生きること自体が目的そのものなのだから。
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