思考過多の記録
DiaryINDEX|past|will
あまり更新できていないが、2017年初の日記である。
今年の初夢に、12年前に亡くなった父方の祖母が出てきた。いつもの笑みを浮かべながら。 「色々頑張ってるみたいだから、活動の足しにって、少しずつ貯めてきたんだよ。2000万あるから」 そう言うと、祖母は僕に紙袋を渡してくれた。ずっしりと重かった。 僕は、その金額に驚きながら、祖母が自分の活動を見守り、応援してくれていたことを知って嬉しかった。同時に、 「これだけ現金があれば、各方面への支払ができて一安心だ」 と思った。 その後も夢は続いたが、あまり内容は覚えていない。
祖母は生前、僕に会う度に 「お前に早くいいお嫁さんが来るといいね」 と言っていた。一度は 「探してあげようか」 とも言われたが、その時は、 「いいよ、自分で探すから」 と答えてしまった。祖母は 「そうかい」 と少し寂しそうな顔をした。
結局、お嫁さんを見せる前に、祖母は他界してしまった。これは本当に心残りである。悔やんでも悔やみ切れない。 日頃ブログに「結婚よりも、演劇で自分の目標を達成することが優先」という趣旨のことを書いてはいるが、僕も好きで結婚しなかったわけではない。自分が好きになった女性から、ことごとく好きになられなかったからである。 僕が好きになってアプローチしようとすると、みんな僕から離れたのである。何なんだ、と今でも思う。そんなに僕が悪かったのか、と。 祖母は、僕が小さい頃は、共働きの両親に代わって面倒を見てくれた。ずっと僕のことを愛してくれて、気にもしてくれていた。それに報いることができなかった。 これだけでも、死んでしまいたい位だ。
両親も高齢になった。だんだん亡くなった祖父母の年齢に近付きつつある。こういう言い方は何だが、もう人生の終点が見えてきた。 僕の両親も、やはり僕のことは常に心配していて、 「いい人がいるといいんだけど」 とずっと言い続けていた。この頃はもう諦めてしまったらしく、1人で老後を生きていくためにはどうすればいいか考えておいた方がいい、と言い始めている。 それでも、特に母親は、今でも時々 「いい人と幸せになれるといいけどね」 と言う。
親の世代にとって、結婚して家庭を持つことが幸せなのである。 今では幸せにも色々な形があり、また人によって様々な生き方があるという考え方が一般的で、独身を必ずしも不幸とは思わないということになっている。それは分かっていても、いざ自分の息子のこととなると、やはり「普通」の幸せの形に収まらないと不安のようだ。 僕は今まで、結構好き勝手にさせてもらってきた。親に手をかけてばかりだった。そして今日まで、ちゃんとした親孝行らしいものをしたことがない。 せめてもの親孝行は、自分の孫を抱かせてあげることだとずっと思ってきた。僕の祖母が僕を可愛がってくれたように、僕の親も孫を見れば幸せな気持ちになるのだろう。自分の息子が自分の家庭を築き、次の世代を育てているのが分かるからである。
タイムリミットは迫っている。だが、このままだと、結局僕は上記のような親孝行ができずに終わってしまう。 せめて、祖母にはできなかった、自分の結婚相手を両親に会わせ、式を挙げること位はしたいのが本音だ。でないと、僕は単に苦労をかけ、心配をかけただけの不肖の息子で終わってしまう。僕を育ててくれた恩に報いることができずに終わってしまう。それは嫌だし、耐えられない。
といっても、それを理由に結婚相手を探すというのは、どう考えても本末転倒である。 けれども、僕自身にももう時間がない。 しかし、誰かを幸せにする基盤もない。年齢的にも、賞味期限は切れていて、恋愛・結婚市場での価値はゼロかマイナスだ。 この絶望的な状況の中で、両親は確実に年老いていく。
孝行をしたい時分に親はなし さればとて墓に布団も着せられず
自分ではどうしようもないことなので、余計に辛くなる。 祖母にはできなかったので、何とかして両親には安心して旅立ってもらいたいのだが、どうしたらいいのか全く分からない。 そうして、1年が始まった。
|