思考過多の記録
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2016年01月04日(月) |
それはいつの「昔」話 |
2016年初めての日記である。日記といいながら、気まぐれ過ぎる不定期な更新であるが、今年も同じ調子でいくことになると思う。よろしければ、今年もお付き合い願いたい。
年始で、父方の叔父・伯母が家に来た。結構賑やかだったのだが、その中でも一番賑やかだったのが、一番年上の伯母である。もう80代の半ばにさしかかろうというのに、ほぼ喋りっぱなし。常に話題の中心にいた。昔からそういう性分だった。伯母は喋っていないと死んでしまう、回遊魚のような体の構造なのではないかと思われる程だ。毎年正月には家に来るが、毎年そうである。口から生まれたというのは、まさに伯母のためにある言葉のようだ。 話題は毎年決まっている。自分の病気のこと、娘や孫達のこと(多くは自慢話)、そして昔話である。昔話といっても、何しろ80年以上生きてきたので、様々なレベルの「昔」が伯母の中に存在している。子供時代は戦争に重なっている。長女である伯母は、小さい頃から既にきょうだい達の面倒を見させられたり、買い物を頼まれたり、僕の祖母にこき使われていた。昔はそれが当たり前だったのである。その当時の弟、即ち僕の父親やその下の叔父の「武勇伝」は何度も聞いた。その度に母親や自分が相手に謝りに行ったという話である。 それから僕の父親の自慢話(?)になり、そこから僕の話になるというのがお決まりの流れだ。一昨年位までは、自分の孫の自慢も含まれていたが、今年は名前が一度出た位であった。
僕の話というのは、ほぼ決まって小学校高学年から中学生頃までである。この当時、僕は古典落語に凝っていた。家にあった父親のカセットテープに録音された、故三遊亭圓生等の落語を熱心に聞いていた。それで、耳コピーで覚えてしまい、それを伯母の前で披露していたのだ。その時の僕の声を録音したカセットテープが、伯母の家には大量に残っている。それが伯母の自慢の種である。 伯母は僕のその時の記憶力の良さを褒め、それをやって見せたことを激賞し、レパートリーがたくさんあったことに感激し、もし落語家に弟子入りしていたら、今頃活躍していただろうと嘆息する。大抵話はそこで終わる。そして、 「今度遊びに来たら、テープを聞かせてあげるからね」 と満面の笑顔で言うのだ。今年は、 「あの頃は楽しかったね」 とも言った。 高校生になって以降の僕の話は絶対に出てこない。高校に入ってから、僕があまり伯母の家に遊びに行かなくなったこともあるが、それだけが理由ではない。伯母にとって、高校時代以降の僕は、自慢の対象ではないからである。 伯母は分かりやすい人である。有名大学に入り、有名企業や役所等、名が通っていて社会的地位が高いと思われる職業に就くことが、何より凄いことだと思っている。そして、身内からそういう人が出れば、それが自慢の種になる。人が羨み、「凄いね」と言われる対象になること、それこそが伯母にとっては価値が高いことなのだ。逆に言えば、そうでなければ、その人は単なる「凡人」であり、特に価値も認められない。
僕は、高校からして、所謂「有名進学校」には入れなかった。当然、伯母は名前も知らない。そして、浪人した挙句、決して無名ではないけれど、世間的な評価は全く高くない、時には鼻であしらわれることすらある大学に進んだ。そして、その業界では有名だが、世間的には殆ど知られていない中小企業に就職した。 伯母にとっては、僕について何一つ他人に自慢できることはなかった。だから、話にも出てこないのである。もし僕が東大にでも入り、霞が関の官僚か、超有名企業に就職し、重役になっていたら、今でも僕についての話は止まらないだろう。自慢の種がたくさんあるからだ。自慢できるような甥を持ったことが嬉しくて仕方がないのである。そして伯母は、きっと僕はそういう道を歩むと勝手に思い込んでいたのである。 だが、現実は違った。落語のネタをいくつ覚えられたところで、東大の入試の問題は1問も解けないのである。そんな単純明快な事実にも叔母は気付いていなかった。僕は伯母の期待に背いたのである。勿論、だからといって、伯母が僕を冷たい目で見ているということは全くない。しかし、伯母にとって価値があるのは、僕が頭が良く、明るい将来が約束されていると思えた時期までである。これで結婚して子供でもいれば、伯母の見る目はまた変わったかも知れない。 とにかく、伯母にとって、今の僕は徹頭徹尾期待外れなのである。
こんなことを書くと、僕の高校時代や大学時代の友人は気を悪くするかも知れない。僕自身は、進んだ高校も大学も悪いとは思っていない。いい出会いがあり、有意義な時間だったと思っている。しかし、実際に大学名だけ見て僕を判断・評価された、それも低く評価されたと思われる場面がなかったと言えば嘘になる。世間の目というのはそういうものだ。伯母は、その世間の評価基準を、さらに極端な形で内面化している。 そんなものに惑わされまいと思っても、僕自身も知らず知らずのうちにそれと同じような評価基準を内面化している。東大、早稲田、慶應、一橋、東工大etc、有名大学を出て、一部上場の企業で正社員として、また管理職として働いている人間に比べて、スペックが低いのは火を見るよりも明らかだ。「社会に出れば、学歴なんて関係ない」と言われたが、それは半分は真実で、半分は嘘だった。その半分の嘘の部分で、随分悔しい思いをしてきた。伯母の自慢の甥になれたかったことに、ついこの間までは何も感じてはいなかったが、今この歳になり、出世した、或いは普通に家庭を持って幸せに暮らしている人達のことを考えると、急に伯母が不憫に思えてくる。両親に対しても同じ思いである。
おとぎばなしはみんなずるい どこにも日付を書いていない
と中島みゆきは「あどけない話」という曲で言っている。 多分、昔話にも日付は書いていない。自分が思い出したい頃が一番輝いていいて、それが一体いつのことなのか、果たしてそんな「昔」は本当に存在したのか、それすら怪しい。「昔は良かった」の昔の日付を答えられる人はいないのではないか。 だからこそ、今を精一杯生きることが大切だ、といった凡庸な結論を導こうと思っているわけではない。今もいつかは「昔」になる。思い出したい「昔」なのか、抹殺したい「昔」なのか、それは誰にも分からない。 振り返って喜んでもらえる「昔」があるだけ良しとしなければならないのかも知れない。 せめて、今年が振り返りたくない「昔」にならないようにと願うばかりである。
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