思考過多の記録
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2015年12月31日(木) 2015年の終わりに

 今年も間もなく終わろうとしている。これが今年最後の日記である。
 世界でも、日本でも様々な出来事があった。相変わらず騒がしく、激動の年だったといっていい。考えてみれば、穏やかな年などなかった気がする。確かに、暢気だったり浮かれていたりした年もあった。でも、それがいつのことなのか、その時何をしていたのか、もう思い出せない。僕の意識の中では、世界は常に大きく動き続けている。勿論、日本もである。



 今年は、戦後70年にして、安保法制が成立する等、国のあり方が大きく変わった。僕に言わせれば、危険な方向に、である。世界的にも、そして日本でも、排外主義や偏狭なナショナリズムが跋扈している。そして、世間の不寛容さはさらに増している。時の政権の方針や思想に合わないものは、全て「偏向」であると見做され、攻撃され、排除される。そういう空気が蔓延している。あまりにも充満しすぎて、それとは気付かない程、みんな鈍感になった。
 さすがに安保法制の時は、あまりにもやり方が酷く、中身も問題だらけだったこともあり、大きなうねりが起きたけれど、結局それも押さえ込まれた。
 アメリカでは、トランプ氏の人気がうなぎ登りである。
 世界にも、日本にも、反知性主義が蔓延っている。
 この先の世界がどうなるのか、それを考えると、暗澹たる思いがする。もはや誰もこの流れを止めることはできないのか。かくして、安倍政権は盤石となり、引退した筈の橋下某がそれにすり寄る。それを熱狂的に支持する人達がいる。野党を冷めた目で見ながら墓穴を掘る人達が後を絶たない。一億総活躍社会とやらがやってくる。



 僕は今年も「ぼっち」だった。年の初めには、今年はどうにかならないものかと意気込んではみたのだが、空回りに終わった。周囲は「そら見たことか」と思っているに違いない。
 しかし、もう僕は堅気には戻れない。それは今年はっきりした。「流れ者には女はいらない」という決めぜりふがあるが、その通りになりそうである。今の僕では、誰のことも幸せにはできない。それが誰の目にも明らかだから、誰も僕を好きになってはくれない。巷に愛は溢れているのに、それが僕の所には来ない。でも、もうそれを求める資格は僕にはないのだ。それを受け容れなければならない。
 でも、人の笑顔が悔しい。



 来年は、堅気の世界から完全に離れて、こちら側の世界で生き残っていく方法を、もっと真剣に考えなければならない。堅気の幸せではない、僕の世界の幸せ。
 普通に暮らしている人、堅気の人間の感覚とはどんどんずれてくるかも知れない。そのことによって、軋轢や衝突も生まれるだろう。それも引き受けなければならない。そうしないと、本当の幸せは掴めないだろう。



 2016年、世界も、日本も、そして僕も、茨の道にさらに一歩踏み出す。さらに深い闇の中へ突っ込んでいく。
 今年は、その始まりに過ぎない。



 こんな調子で来年も続くことになるのだろうか。
 よろしければ、引き続きお付き合いを。


hajime |MAILHomePage

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