思考過多の記録
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2015年07月05日(日) |
「平日昼間の街中」を生きる |
芝居の本番が終わって1週間が経った。 稽古期間中は勿論だが、その準備期間にも、僕は平日の昼間の街を歩き、喫茶店で脚本の構想を練ったり、稽古場にこもって稽古をし、夜遅くの電車で残業帰りのサラリーマンと一緒に帰ったりといった生活をしていた。4月以降はまったくの無職で、朝のラッシュとも無縁だし、昼間の時間ずっとオフィスのデスクの前で黙々と仕事をするといった生活からも離れた。 そして、あらためて気づいた。僕にはこの生活が合っているんだな、と。
僕は普通のサラリーマン生活が長かった。同じ会社に21年間勤務し、基本的には平日9時〜5時で働いていた。繁忙期には残業も休日出勤もした。昼間の光を浴びることなく過ごし、電車は行きも帰りもラッシュという生活を続けていた。何の疑問もなかったわけではないが、自分にはそれしかないと思っていた。 会社勤めをしている頃から、並行して演劇活動もやっていた。職場には理解があり、正社員だったにもかかわらず、本番のために連続して何日間も有休を取らせてもらってもいた。有り難いことだと思っていた。 それでも、演劇活動を続けるためには、サラリーマンをやって資金を稼がなければならないと思っていたし、いずれは自分も家庭を持って落ち着くのだと漠然と思っていた。
しかし、病気で職を失い、平日の昼間に街にいる生活が普通になってくると、かえってオフィスの中にこもる生活の方がおかしく感じられるようになった。あの中で自分は何をしていたのだろう。何を考えていたのだろう。それが分からなくなってくるのだ。その状態が、僕にとってとても不自然なことのように思われてくるのである。 昨年の後半から今年の3月いっぱいまで、半年間昼間のデスクでの仕事の生活に戻ったのだが、やっている時にはさほど違和感はなくても、こうしてまた平日昼間の街中に戻ると、やはりここが自分本来の居場所のように思えてくる。普通の人の仕事のサイクル、すなわち平日9時〜5時を会社に拘束されるというスタイルが、実は自分には窮屈だったのだと再認識した。 勿論、平日9時〜5時で働いている人全員が、そのスタイルが合っているとは思っていないだろう。仕事に面白さを見いだし、生きがいにすらしているような人ばかりではない筈である。平日でも気持ちのいい天気の日は、できれば仕事を放り出して遊びに行ってしまいたいと思う人の方がむしろ多数派のような気もしている。それでも、生活のため、生きていくためには働かなくてはならない。だから、我慢して平日9時〜5時の仕事中心の生活をしているのである。それは今さら確認するまでもないことだ。 しかし、昼間の街には昼間の街で、そこで仕事をしている人達もいる。先日、公演をやったライブハウス近くの喫茶店に入ったら、別のテーブルで、ラフな服装のクリエイターと思われる人達が、Macを机に置いて打ち合わせをしていた。実は僕はこういう人達の方に近い人種なのではないかとその時思った。
ビジネス服は僕には似合わない。ただ自分の体と心を締め付けるだけだったのだ。そのことに薄々気が付いていたのだが、恐くて別の方に歩み出せなかった。人生の道を踏み外してしまうことのように思われていたからだ。 だが、その道は、僕が歩くには相応しくなかった。だからそこからはじき出され、容易には戻れなくなってしまったのだ。
声優の大塚明夫さんが「声優魂」という本の中で、芝居の世界で生き延びられる人間の条件のひとつに「まっとうな生産社会を諦めた、他に行く場所のない人間たち」を挙げている。そして、その世界(この本の中では声優の世界)を選ぶということは、職業の選択ではなく、「生き方の選択」なのだと説く。そこで必要なのは、夢や意気込みではなく、自分は役者として生きていくという「覚悟」である、と。 長く第一線で活躍されてきた方の言葉には説得力がある。僕もまったく同感である。ここまで書いてきた言葉で言い換えると、平日の昼間に、オフィスにこもって仕事をするような生活からあぶれ、どこにも受け入れられないような人間こそが、芝居の世界で生きるには相応しい。まさしく僕のことである。ただし、大塚さんがいうように、そこには完全な「諦念」と「覚悟」が必要だ。平日昼間の街中を歩ける生き方で自分の生計を立て、生き延びていくんだと、はっきりと腹を決めていなければならない。
それはつまり、所謂「人並みの幸せ」を完全に諦めるということである。仕事で認められ、それなりに出世し、配偶者を得て家を持ち、自分の家族を作ってともに生きていく、という幸せである。ここに未練があるようでは、とてもこちら側の世界で生きていくことはできないのだろう。 僕は今まで、この部分が弱かったように思う。芝居で成功したいけれど、やはり好きな人と一緒になって、自分の家族を作って…といった幸せもあわよくば手に入れたいとどこかで思っていた。それは、おそらく僕には力がないので、芝居の世界で生き残っていくことは難しいだろうと考えたからである。有り体にいえば、腰が引けていた。二兎を追っていたともいえる。しかし、あっちもこっちも、というのはさすがに虫が良すぎる。この年齢になってこの状況というのは、やはり、僕自身ちゃんと覚悟を決めなければならない局面になってきているということなのだと思う。 平日昼間の街中に出没する世界でどのようにして生きていったらいいのか。真剣に考えて、それを行動に移していかなくてはならない。
「人並みの幸せ」への未練はなかなか断ち切れない。しかし、それがある限りは、心に迷いが生じて、作品にも凄みが出てこないだろう。そういう中途半端なものに、人が心を動かされることはない。そのことを肝に銘じておかなくてはならない。それが、平日昼間の街中を生きる者、まっとうな生産社会をはみ出した者の道=宿命なのだから。 僕が好きな寅さんなら、きっとこう言うであろう。
「そこが渡世人の辛えところよ」
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