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2011年07月23日(土) |
涼しいので考え事をした |
いつから、勇気や元気は与えたりもらったりするものになったんだろう。
最初はたぶん、映画の宣伝か何かで「勇気をもらいました!」などというのを耳にして、だんだんといろんなシーンでマスコミが使うようになったと思う。そう、最初はあくまでも「もらいました!」だったのだ。それにしたって強烈な違和感を感じたけれど。
そしていつの頃からか、「この歌でみなさんに勇気を与えたいと思います!」なんて、与える方の言説まで出現していた。いや、いいんです、与えたい人がいて、もらいたい人がいるんだから。だけれども、個人的には何とも解せない。
勇気や元気なんて、もらうもんじゃないだろう。私の場合は、それは自分の中からしか出てこない。自分でしょうがなく振り絞り、無いものを無理矢理なんとかあるようなことにしてやっていくものなんじゃないのかな。「この歌から元気をもらいました!」ではなく「この歌を聴いて元気が出ました!」なのだ。「勇気をもらいました!」ではなく「勇気づけられました!」なのだ。
与えたりもらったりするようなものは、簡単に奪われてもしまうんじゃないかと思う。もしかしたら失った時の保険のために、もらったことにしてるのかなとも思うけど、勘ぐり過ぎかな。とまあ、そんなふうに言葉尻をとらえてうだうだ考えて遊んでいる性格の悪い中年の戯言よ。
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