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2011年05月03日(火) 此岸と彼岸

以前、芝浦の職場に通っていたころ、昼休みによく運河沿いを散歩した。
ある日、ランドセルを背負った学校帰りの小学生、1年生か2年生くらいの男の子二人が運河をはさんで両岸を歩いていた。たぶんおしゃべりをしながら帰ってきて、橋で分かれて寂しいのだ。運河越しにおしゃべりをはじめた。

「ねえ、話をしようよー!」
「うん、いいよー!」
「あっ、みてみて、あそこにゴミが浮かんでるよー!」
「ほんとだー、きーもちわるいよねー!」

なぜだか時々この光景を、周りの風景や温度やちょっと臭い運河の匂いとともに思い出す。

私には子供がいないし、これからも子供を持つことはないだろう。だから親の気持ちにはなれない。それはもう、どうやったって無理。子供がいない人にはわからないと言われたら、それでおしまい。だから親じゃなくて、他人として一人の大人として後の世代のことを思うしかなくて。

子供が好きか、という問いは、なんだか漠としていて答えようがない。親戚の子供や友達の子供といった直接関わりを持った子供、なぜだか覚えている運河の子供、あの子たちのことは好きだ。でも他の子供のことは、知らないから。子供たちを「子供たち」としてひとまとめに考えることができないのは、私が親じゃないからかもしれない。

とにかく大人になってほしいと思う。大人になって、理不尽で不条理でくそったれのこの世界に一度は絶望して、それでも楽しいことや嬉しいことや美しいものも少しはあるもんだと、驚きをもって発見してほしいのだ。親だったらたぶん、子供に絶望なんてしてほしくないと思うだろうけれど。

後の世代のために「良い世界」を残すなんてことは傲慢なんじゃないかと思う。どうしようもない世界の中で生きる楽しみを見つける力、きーもちわるいゴミを指差して友達と笑い合う力、どうかそれが失われませんようにと、祈るしかない。「子供たち」のためじゃなく、運河の此岸と彼岸でおしゃべりをしていたあの子たちのために祈ってる。


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