Diary?
DiaryINDEXpastwill


2005年07月23日(土) 震度4

 関西で22年間暮らして、記憶に残っている地震は4歳か5歳の時の一回きりだった。母が私を小脇に抱えて外に飛び出したのを憶えている。それ以降は1995年まで地震なんてほとんど無かったように思う。だから東京に来てからしばらくは怖くて怖くて、どんなに小さな地震でもびくびくして机の下にもぐったりしていた。

 さすがに最近は慣れてきてさほど驚きもしなくなっていたのだが、今日のはちょっと怖かった。部屋にこもってだらだらしていて、ちょうど二胡を弾いているところだった。どんどん激しく揺れてきたのでとにかく二胡を置いて窓を開け、本棚が倒れてこない位置に避難しつつ、いろんなものがバラバラと落ちているのを為す術もなく眺めていたのだった。幸い、本棚は上下が少しずれたくらいで持ちこたえた。揺れがおさまってからガス栓を閉めようとキッチンに行くと、ここでもいろんなものが落下している。とにかく片付けて、ガスをチェックしたらやっぱりメーターが自動停止していたのでリセットし、やれやれ恐ろしかったことよと脱力していたら友達から電話がかかってきた。

 彼女は静岡に帰省していて、よりによって今日新幹線で東京に戻ってきたのだった。列車はしばらく止まったものの、なんとか品川までは無事到着した。しかし着いてみたらばJRも地下鉄も全部止まっていたという、強運なんだか不運なんだかさっぱりわからない状況であった。じゃあ品川からバスに乗ってうちにいらっしゃいと。鰻の白焼きだとか、美味しいカレーだとかのお土産を頂いて給料日前の冷蔵庫が俄然豪華に変貌する。

 地下鉄がなかなか運転再開しないので、近所のベトナム料理屋で一杯飲むことにする。バインミーのオープンサンドバージョンがなかなか美味しい。また家に戻ってだらだらと喋り、もう泊まっていけば? などと言っているうちに交通機関が復旧。マンション3階の我が家でいろんなものが落下した話を聞いた彼女は、マンション7階の自宅の様子に多大な懸念を抱きながら渋々帰ってゆきました。


garden_of_time |MAIL