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2004年06月29日(火) 新聞と古新聞

 新聞は、いつ古新聞になるのか。そもそも古新聞とは古いのか新しいのか。

 随分前に、そんなエッセイを読んだことがあるけれど、あれは誰だったかな。そんなことを書くのは、えのきどいちろうか宮沢章夫くらいしかいないと思うが。

 などと、職場で膨大な量の「古新聞」を前にしながら思い出していたのだった。

 職場は企業内図書館なので、主要な新聞はだいたい購読している。細かい業界紙まで含めると30種類くらいはあるはずだ。それをある程度の期間は保存して、捨てるものは捨て、縮刷版に切り替えたりしているわけだ。

 で、なんとなく保存期間内のものは「新聞」であると、そのように認識している。保存期間を過ぎた途端に「古新聞」になる。例えば朝日新聞は当月含め二ヶ月分保存だから、5月の新聞は6月30日に突然古新聞となる。

 しかしここ数日、その認識を覆される出来事が起きている。新聞を大量に閲覧してはコピーしていく利用者があったのだ。使い終わった新聞は、一枚一枚が不揃いになり、折り目は歪み、一ヶ月分の重なりもぐだぐだになっている。そうなると、保存期間内であってもそれは立派な古新聞だ。昔の人ならお弁当を包んだり箪笥の底に敷いたり折り紙で兜を折ったりしそうな、今なら再生してトイレットペーパーにでもなりそうな、それはもう見るからに紛う方なき古新聞だ。

 古新聞だなあと感心しながらも、そのままにしておくわけにもいかないので一枚一枚きちんと重ね、折り目を正し、一月分を重ね、最後にまとめてトントンと揃える。するとそれは既に古新聞ではなく、現役の新聞である。不思議なもんだ。


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