Diary?
DiaryINDEX|past|will
昨日、じゃがいもの煮物を作成したら人生最高の出来であった。 たまに作る「ツナじゃが」である。肉じゃがの肉をツナに代えたもので、肉じゃがみたいに甘くはしない。
で、味はいつも通りなんだけど、煮え具合がもう最高。煮溶けもせず、ほくほくむっちり。たくさん作ったから今日のお弁当に持って行って、同僚に食べてもらったらやはり好評であった。
あまりに上出来だったので、いつもと何が違ったのか必死に思い出してみた。最大のポイントは「忘れてた」ではないかと思う。最初ちょっと炒めて、ひたひたの煮汁で落とし蓋をして、鍋の蓋もして、弱火に。そこでちょっとヒマだったのでネットサーフィンを。……やっぱり忘れた。あ、と思って様子を見に行ったら、今まさに煮汁がなくなる、というところであった。
いつもだったら、その間何度も蓋を開けて様子を見たり、ちょっと混ぜたりなんかしてたところを、忘れてたのが幸いして密封状態、軽く圧力鍋状態になっていたと思われる。しかもツナの油分で、煮汁が少なくなっても焦げつかなかったみたい。
じゃあこれからも煮物をする時は忘れることにしようかと思ったが、昨日みたいにグッドタイミングで思い出す確率は非常に低いだろうことは明白である。食材と鍋を犠牲にするのは目に見えている。やっぱり忘れたふりをして、蓋を開けるのをぐっと我慢するしかないのか。赤子は泣かないけど、蓋取るなといわれると取りたくなるんだよ。
昔、実家の蔵に小さな行李があって、親から「開けてはいけません」と言われていた。明治時代あたりに、流浪の坊様が行き倒れになって、当時村長だったうちの先祖が行李を預かったということだ。開けてはいけないと言われるとどうしても開けたくなるので、親の留守を見計らって開けてやりましたとも。中には手紙とか衣類とか、ごく当たり前の身の回りのものが入っていて、子供だった私にはとてもつまらなく思えた。元どおりに蓋を閉めて、そっと戻しておいた。
後年、私が大人になってからのことだが、親が法事のついでかなんかに、その行李にお経をあげてもらって開けていた。そして縁戚の人を探し出して行李をお返ししたようである。実は子供の頃に開けてしまいましたと告白したのは、もっともっと後年のことである。
garden_of_time
|MAIL
|