売春婦の日常たるもの、こうでなくては。 |
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2005年10月29日(土) 『 必要ない「逃げ場」 』 |
目に見えないものを愛しすぎてしまったような気がして。 あなたの「逃げ場」は、本当に「逃げ場」なの? あたし、あなたの「逃げ場」なら、追って行けるわよ。 「逃げ場」。 あたしにそんなものは必要ない。 というより、あったら、あたしは「駄目」になると思う。 「逃げ場」という存在があたしのバックに在れば、あたしは何をしても逃げれるからと、危険を犯し、いつか奈落に落ちるだろう。 「逃げ場」というのは、人間の弱いところに上手く滑りこんで、人間を「駄目」にしていくものだと思う。 「逃げ場」があって、何が変わるのでしょうか。 すさんだ心が治るのでしょうか。 苦しんでいることを忘れられるのでしょうか。 それがもしもできるとしても、それで本当に「助かる」のでしょうか。 「逃げ場」というのは、安らぎの場所かもしれません。 けれど、ずっとそこにいては行けないと思うのです。 「現実」に戻らなければいけないのです。きっと。 その時、戻る時、どれぐらいのエネルギーがあたしには必要なのでしょうか。 その時、戻る時、どれぐらいのエネルギーがあなたには必要なのでしょうか。 それぐらいのエネルギーがある人に、「逃げ場」が必要でしょうか。 誰だって、気分のいい場所にいたいものです。 でも、あたしには必要ないのです。 たとえ、どんなに苦しくても、他の世界の味を知るのは、なんとも寂しいことだと思うのです。 あたしは「現実」で甘い味を知りたいから、ここで生きているわけなのです。 だから、あたしは「逃げ場」はいらないのです。 出る時に必要なエネルギーはありません。 あたしの口から、時々「死にたい」という言葉がこぼれていました。 その度に思ったのです。 あたしは「死ぬ」事を「逃げ場」にしてないかな、って。 「死ぬ」ってことは、決して「零になる」ことではなくて、「何も出来なくなる」ことなのだから。 だから、「逃げ場」じゃないと思うのです。 だから、あたしは、「死にたい」なんて言わないのです。 言ってはいけないと思っているのです。 もしも、それが現実になったら嫌ですもの。 なんの得もしないことはしたくないのです。 あたしの考えですが。 あたしが聞いてる、この音楽、そして曲、これは本物なのでしょうか。 あたしの鼓膜はおかしくて、実は、他の人とは違うように聞こえるのでしょうか。 あたしが正しいとか、誰も証明できないのですね。 あたしの目も耳も、何が正しいのでしょうか。 いえ、きっと、何も正しくなくて、「正しい」ものもないのでしょう。 あたしを正しいと証明できる、「正しい」人もいないのでしょう。 だから、あたしは、「正しい」なんていえないのです。 でも誰も「間違ってる」なんてあたしに言えないのです。 鏡を見るのが嫌いです。 あたしの顔を誰にも教えて欲しくないのです。 |
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